「騎士団長殺し」の他の感想を眺めてみて
「騎士団長殺し」を読み終えて、いろいろと読書サイトを渉猟してみました。第3部がある派の方が他にいないか探してみたのですが、あんまりいらっしゃらないですね。マイノリティ。
でも数々の感想を眺めていて思ったのですが、皆さんばらばらの感想を書かれているんですよね。これが同じ本を読んだ結果か、と思うくらいにばらばら。
思うんですけれど、村上春樹さんという作家は、物語を計算し設計するタイプの小説家ではなく、小さな描写を組み上げて大きな物語を作るタイプなのですよね。たとえるなら、自然石を積み上げて高い石垣を作るように物語を作っているような感じがします。隙間なくぴたりとした石垣を作れるように、自然石を積んではおろし、別の石に積み替え、バランスを見てまた元に石に戻す、というような作業で小説を書いているみたいな。小さな描写は破綻なく意味が取れるのですが、その小さな描写同士の関連性というものは、読者の判断に委ねられます。近接する小さな描写の数が少なければ、多数の人が読んでも理解はぶれませんが、その小さな描写の数が多くなればどうでしょうか。さらには、村上春樹さんはメタファーの名手です。小さな描写に複数の意味を持たせながら物語を進行させます。そうすると、不思議なことに、描写たちを貫く物語のラインが、幾筋もできてしまうのです。普通の小説では物語のラインはひとつで、それ以上にラインがあると単にできの悪い小説だとか、成り立っていないという評価が与えられます。でも、村上春樹さんの小説はそれぞれの読み方のラインで読めてしまいます。ラインがいくつもあっても、物語が成立してしまうのです。通常の評価方法が通用しない、これが村上春樹さんが巨匠と呼ばれる所以でもあると思っています。
しかも小説ですから、理解に間違いはありません。どのような理解であれ、読者からそのように読めたのであれば、その物語は読者のその理解で正しいのです。原理的には。カウェアト・エンプトルです。
カウェアト・エンプトル。ラテン語で『買い手責任』のことですが、この文脈では『読者責任、ぐらいの意味ですね。騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編に出てきましたが、流行らない気がしますね。言いにくい。さすがに21世紀にラテン語は古くさい。まあわざわざ引用してきたのは僕なんですが。
ちなみに、エッセイ 職業としての小説家 (新潮文庫)で村上春樹さんはこんなことを言っています。彼にとって小説とはこんなものだと。
小説を書くというのは、とにかく実に効率の悪い作業なのです。それは「たとえば」を繰り返す作業です。ひとつの個人的なテーマがここにあります。小説家はそれを別の文脈に置き換えます。「それはね、たとえばこういうことなんですよ」という話をします。ところがその置き換えの中に不明瞭なところ、ファジーな部分があれば、またそれについて「それはね、たとえばこういうことなんですよ」という話が始まります。その「それはたとえばこういうことなんですよ」というのがどこまでも延々と続いていくわけです。
そういう、回り道を好むような、スタイルというか、スタンスの作家さんです。なんというか、そういう泥くさい感じ、嫌いじゃないです。
ご参考。
taftaftaf.hatenablog.com
taftaftaf.hatenablog.com
終)騎士団長殺し (読書メモ&感想)
続)騎士団長殺し (読書途中での読書メモ)
第1部 読み終えました。物語的な設問というか、小さな謎が積み重なって続きが気になるので、続けて第2部に取り掛かりたいと思います。
村上春樹さん作品は比喩表現の連なりや重なりの読み解きが必要になりますが、これが結構骨が折れる。まあそれが「良さ」ではあるんですけどね……。でも今作では重要なメタファーは強調され繰り返し登場し、重要でないメタファーは軽く流されたり、あるいは主人公である「私」に否定(例:いや、たぶんそれは私のうがちすぎだろう)されたりしてあって、これまでの作品よりも読みやすい。メタファーに軽重メリハリがつけられたことで、作者にある程度ガイドされていると感じます。「ノルウェイの森」「ねじまき鳥」よりずっと読みやすく改善されているんじゃないかな。物語の読み方の自由度を減じたという言い方もできますが、でもこれは必要な処置だったと考えます。自転車に補助輪をつけるというよりは、真夜中の道に常夜灯を追加するような処置だと感じています。
今作「騎士団長殺し」では36歳で画家の「私」が主人公。プロローグからするに、「騎士団長殺し」のメインのストーリーライン(あるいはテーマ)は「主人公が自分が何であるかを知る」「妻を取り戻す」の2点のように思えます。けれど第1部の時点では、まだメインのラインにたどり着いていません。「騎士団長」がどうメインのストーリーラインに絡んで来るのかも、まだ見えていません(予想はできる)。読み続けます。
< 以下、第1部 読書メモ (個人用です:ネタバレあり注意)>
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夢は見たりて? (銀河英雄伝説)
「夢は見たりて?
子供には夢を見る
時間がとても多く必要なの」
「全然足りないよ」
突然ですが、今日購入して読んだ銀河英雄伝説(原作:田中芳樹 漫画:藤崎竜)の1巻から抜粋。
零落貴族の美しい姉アンネローゼが、まだ幼い弟ラインハルトを起こすシーン。フジリューこと藤崎竜さんが描くお姉さんが本当にキレイ。藤崎さんはサイコプラスのころから好きな漫画家さんで思い入れもあるのですが今は割愛。
ちなみに、「夢は見たりて?」は堅い表現なので、文脈がないとわからないかも知れないので補足します。これは漢字化すると「夢は見足りて?」。つまり「(よく眠って)充分に夢を見ましたか?」ということですね。
話を戻すと、このあと美しい姉アンネローゼはすぐに皇帝より召されて、姉弟は離ればなれになります。弟ラインハルトは皇帝からの姉の奪還を誓いますが、力が足りないことをよく自覚しているため、まず貴族幼年学校に入学し、雌伏の時を過ごします。それは10歳の少年が大人になるための「夢」のような期間だったのかも知れません。「夢は見たりて? ーー全然足りないよ」というやり取りは、貴族幼年学校時代が訪れることのメタファー、隠喩なのかも知れません。
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静岡県でげんこつハンバーグのさわやかに行って来ました
「やっぱり『さわやか』かなー」
「ああ、『さわやか』ありますよ、この辺」
静岡は浜松市に行ったときに、「このあたりに美味しいお店はありますか」と地元のひとに聞いたときの返答です。
それほど美味しいなら行ってみようかということで、『さわやか』行ってみました。静岡一円にある炭火焼き・牛肉100%のハンバーグのお店。後日「ケンミンSHOW」で静岡県民のソウルフードとして紹介されていました。
お店では名物のげんこつハンバーグを注文。しばし待つと、じゅうじゅうと油が飛ぶ熱っつい鉄板の上に乗ったハンバーグが運ばれてきました。”げんこつ”の名の通り、幅と大きさは普通のハンバーグみたいですけれども分厚い。重厚。背が高い。厚みがある。指三本くらいはある厚さです。全体としては、焼き網み目がついたごろりとした肉が、げんこつが、鉄板の上でじゅうじゅういっています。
焼き加減はレア。肉だねは超衛生的なセントラルキッチンで作っているので生で食しても問題ないみたいですが、気になるひとは、げんこつ肉を素早く切り分け、鉄板の上で押し付けて火を通していただきます。自分は元々ウェルダン派なのでべしべし鉄板でハンバーグの切り身に焼き色をつけます。
火の通りがちょうどいいところで、切り身をフォークに突き刺し、口へ運びます。もぎゅっという食感。圧倒的な肉感。「あー、肉食ってるなー!」
しっかりした赤身の歯ごたえと、弾力のある舌触り。噛むほどに出てくる旨味。肉、牛 肉、牛 にく、ぎゅう! 脳内が「にく」と「ぎゅう」で埋め尽くされます。
夢中でカトラリーを動かしているうちに、250グラムの牛肉は跡形もなく無くなっています。空になってしまった鉄皿はちょっと残念だけど、胃から満たされてくる満足感がジワジワきます。明日はちょっと頑張っちゃおうかなーなんて思わせてくれる食後感。納得。
旅行や出張 で静岡を訪れる機会があればチェーン店だと避けずにさわやかを訪れることをお勧めします。まる。