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みみずくは黄昏に飛びたつ(騎士団長殺し考察)

先月に発売された、芥川賞作家の川上未映子さんによる村上春樹さんへのインタビュー本「みみずくは黄昏に飛びたつ」。インタビュー期間は初回が2015年。そこからしばらく期間が空き、2017年の1月下旬から2月にかけて3回立て続けのインタビュー。

 

発売の時期からし村上春樹さんの最新作「騎士団長殺し」の話題がメインかと思い購入しましたが、「風の歌」「ノルウェイの森」「ねじまき鳥」やら話は村上春樹さんの著作全般に渡り、作家同士の対話ということもあって、創作論に深く切り込む内容になっています。作家同士の創作論をテーマにしたインタビューはすごく面白いというのが感想でした。切り込むインタビュアーも作家(芥川賞)、受けるのも作家(大作家)。どこまでも深読みできそうなのがいいですよね。

 

いきなり結論から入ってしまいましたが、それはそれとして。

川上未映子さんは村上春樹さんのファンだということでしたが、その看板に偽りなし。書いた村上春樹さんご本人が忘れているような人物名や台詞、エピソードがすらすら出てきて、なかなか楽しめました。矢継ぎ早に質問される村上春樹さんのたじたじぶりが行間からにじみでていて、変な意味で手に汗にぎりました。しかしそこは大作家の貫禄、原則論でどっしりと質問をさばいてみせてくれました。

この本はもう真剣組手ですね。

 

村上春樹さんの創作論は独特で、「小説はボイスありき」「物語を作るとはマテリアルをくぐらせる作業」というような、比喩的でわかりにくいけれども、物事の本質をついている話があります。

当然ですが、超一流の小説書きのやり方を真似をしたところで、超一流の小説が書けるわけではありません。それは普通の人がイチローの真似をしても、イチローのように200本安打を達成できないくらい自明なことなのですが、

だからといって意味のないことだとも思いません。一流の人がやっていることというのはどこか世界の真理をついた普遍があるものだと考えています。だから、たとえ小説を書かなくても、そのやり方や、背景となる心構えみたいなものを、人生のどこかで応用することもできるでしょう。

 

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ところで。インタビュー中、海外でも出版されている村上春樹さんの作品は中編ほど評判が悪いという話がありまして。これが意外でショックだったんですよね。

というのも「スプートニクの恋人」とか「多崎つくる」とか、わたしが村上作品で一番好きなのは中編小説 なんです。

つくづく自分は天邪鬼だなあと認識を上書きしました。

でもせめて、このブログでは、村上春樹は中編が良い!と強く主張しておきたいと思います。

好きなシリーズが出版されなくなるのは悲しいですからね。

特に「スプートニクの恋人」がわたしは好きです。

中編、出版されたら必ず買います。

言うだけじゃありません。

ぜひお願いします!

 

 

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「みみずく(略)」のなかで、新作「騎士団長殺し」に関わる内容は、20パーセントくらいの量でしたね。本の中でそれでも結構重要なことを村上春樹さんは語ってくれています。そのなかで2つほど気になったところがありました。

  

 まず、「騎士団長殺し」の続編、第三部があるかどうかという点。

これは騎士団長殺しを読んだ人たちの間で結構重要なテーマとしてネット界隈で議論されていて、わたしは第二部では終わっていない、つまり続編は出る!と予想していました。

これは読んだことのある人じゃないとわからないと思うのですが、

騎士団長殺し」のプロローグで「顔の無い男」が出てきて肖像画家の主人公に顔を描くことを要求する。その伏線が回収されないままで、第二部が、つまり現在出版されているところまでが、終わってしまっていることを根拠にしていました。

簡単に言うと、プロローグの伏線回収が終わってないから、まだ続編は出るんだ!論です。

しかし、ネットで他の人の感想を見る限り、残念ながら「第三部はもう無い、第二部までで完結=続編無し」派 の方が優勢でした。

しかしそれは所詮下馬評。外野の野次と一緒なんですよね。

一番肝心なのは作者が書く気があるかどうか・・・。ご本人に会えるならば聞いてみたい! と思っていたのですが、今回のみみずくインタビューで村上春樹さんが語ってくれたのが上の引用です。

 

 (村上)「顔のない男」の肖像を描くことができれば、ペンギンのお守りは返ってくるだろうけれど、むずかしいかもしれない。でも、それは彼の人生の大きな課題になるかもしれません。そしてその課題が彼を変えていくことになるかもしれない。物語は続くんです。そこにはポストヒストリーがあります。僕がそれを書くか書かないかは別にして。

 

ひらたく言い直せば、続きはあるけど、書くか書かないかはわかんねぇよということでしょう。さすが大御所・・・! すごくフリーダムです。まあ、一部二部が売れて商業的に成功すれば続きがあるということかも知れません。どのみち第三部があるにしても年単位で待たされそうですから、期待しないで待っているのが賢い選択なのだということでしょうか。

 

 

そして2つめ。騎士団長殺し」に出てくる性的な描写についてです。

ご存知の方も多いかと思うのですが、簡単に説明すると、村上作品には結構脈絡なく性的シーンが多くて、エロ小説だなんて言われるくらいです。(実際にはそこまで表現は多くないと思う)

まあ「騎士団長殺し」ではそういう描写がちゃんとあって、さらに登場人物のひとり、中学生の秋川まりえにすら、そっち系といいますか、二次成長期の胸に関して描写が厚く割かれていました。

昨今のご時世からきな臭いテーマですが、そういうところに、川上未映子さんがずばっと切り込んでくれています。

 

(川上) つまり、女の人が性的な役割を全うしていくだけの存在になってしまうことが多いということなんです。物語とか、男性とか井戸とか、そういったものに対しては、ものすごくおしみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない。女の人は、女の人自体として存在できない。女性が主人公でも、あるいは脇役でも、いわゆる主体性を持ったうえで自己実現をするみたいな話の展開もできると思うのですが、いつも女性は男性である主人公の犠牲のようになってしまう傾向がある。なぜいつも村上さんの小説の中では、女性はそのような役割が多いんだろうかと。
(村上) なるほど、うん。
(川上)それについては、どう思われますか。

 

性的描写に関する質問への、村上春樹さんの第一声は「なるほど、うん」。

 

川上未映子さんは村上春樹の大ファンですし、頭の回転も早く知的なので、基本的に和やかに順調にインタビューは進んでいきます。しかし、彼女は自称フェミニストであるためか、こういう話題のときの舌鋒の勢いというか、言葉の鋭角がすごくて、脇で見物しているだけの観客でも刃物を突きつけられている気分になりました。文章を読んでいるだけなのに、さすが芥川賞作家といったところでしょうか。

 

もちろんこのあとに回答編が続き、村上春樹さんは淡々と場を収めます。少し話をずらして回答した気はしますが、「主人公を性的な対象とみなしていないからこそ逆に性的な話ができる」とか、結局村上春樹さん本人は「物語に寄り添って」書いているだけ、ということで、性的なもの、女性に対して、特段の意志や意図は無いそうです。(よかった! 健全!)

 

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というわけで、本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。 

 

作家同士の対話ということで、おざなりな話やこじつけ話もなく、なかなか骨太なインタビュー本でした。少なくともただの便乗本の類ではありません。村上春樹さんのファンの方は読んでおいて損は無いです。

 

 

 

みみずくは黄昏に飛びたつ

 

 

ご参考。

taftaftaf.hatenablog.com

 

 

川上未映子さん 第138回芥川賞受賞 『乳と卵(ちちとらん)』

も合わせてどうぞ。