読み耽り書き散らすのが理想の生活

ネット的世界の端っこで考えたことを書き留めているだけのブログ。

2017年衆院総選挙 投票率53.6%(日経)と考察あれこれ

2017年衆院総選挙の投票率結果。53.6%(日経)。

 

これは戦後2番目に低い投票率だそうです。最悪は2014年の52.6%。けれど、今年2017年は投票日が折り悪く台風21号の通過日と重なり、全国的に天候がとても悪かったにも関わらずの数値だったこと、事前投票の投票率が過去最高だったことから、国民の関心を集めた選挙だったと考えています。


与党が3分の2を占める圧倒的勝利で終わった選挙。民進党・希望・立憲民主と野党が右往左往して自滅した印象がある選挙ですが、真の敗者は野党たちとはまた別にいると考えています。

 

この選挙の真の敗者は、テレビを中心としたマスコミだとわたしは考えます。


カケミズ問題で国会をワイドショー化して散々煽ったけれども安倍政権の責任を追求できず、選挙に至っては小池氏をまるで救世主であるかのように持ち上げて小池劇場を、選挙の後半は枝野劇場を演出。野党の敗北が決まっても、与党への評価は、安倍政権の評価ではないと理屈にならない強弁を展開する。

 

しかしここまでやっても、与党圧勝でした。日経株価も選挙以降も続伸、国際市場の安倍政権への期待の高さが伺えます。頓珍漢なマスコミの報道と論点の誘導には首を傾げることが多かったので、今回の結果は嬉しいです。

 

f:id:taftaftaf:20171028223508j:plain


ところで。独裁とファシズムとはまったく違うものです。

 

独裁とは最高責任者に権限を集中させ、一人の判断が最終決定になってしまうというもの。とても効率的な仕組みですが、判断即最終決定であるため、歯止めがありません。

 

ファシズムは、民主制のもとに発生します。全体主義と訳され、誰も逆らえないような印象がありますが、実際には民主的な手続きの下に決定がくだされます。第2次大戦下のドイツで、ヒトラー主導で行われた数々のとんでもない決定も、手続き上はまったく問題無いものなのです。

 

ヒトラーはどうやってそのような状態を作り上げたのか。「民衆の熱狂」を利用したのです。第一次大戦後のドイツは深刻な不景気、民衆の生活難にあえいでいました。そこに発生する民衆の不満を利用し、演説・新聞・ラジオ・映画のプロパガンダを用いて、「民衆の熱狂」を操作した。


翻って21世紀の日本。我々は政府広報によく接しているでしょうか。日々与党の演説に接しているでしょうか。そんなことはないですよね。むしろ新聞やテレビのような報道によく接するはずです。

 

職場や日常生活ではあまり聞かないような安倍政権への批判、政権をとても担う能力がなさそうな、野党への期待を作り出そうとしているのは誰か。ファシズムを作りだそうとしているのは、実際のところ誰なのか。

 

その答えをみんなが知っているからこそ、今回の選挙の結果があるのでしょうね。

 

選挙関連の記事。

taftaftaf.hatenablog.com

 

taftaftaf.hatenablog.com

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。 

インターネット経由でバイアスのない情報が取れるようになったことは、本当に良い変化ですね。

 

 

【魔法のコンパス】電子書籍版 発売

 

書籍版だけだった魔法のコンパスに、電子書籍版(kindle)が出たという情報を得て、早速購入しました。

 

 

 

えんとつ町のプペル」「革命のファンファーレ」でおなじみの西野さんの初のビジネス書。書籍版は以前からあったのですが、あんまり出回っていなかったんですよね。でも電子書籍版が出てお求めやすくなりました。 

 

 

ネット活動が主戦場の作者さんは、電子書籍版の発刊は販売戦略上、必須だと思うんですよね。むしろ、紙で書籍を発行しなくても、電子書籍さえあればいいくらい。

 

小説のほうが時代への適応が早くて、ネットで小説を発表→好評を得る→スカウト→出版社より小説刊行/電子書籍同時刊行……という流れがもはや王道化しています。電子書籍による発行なら、在庫リスクが無い分、出版社の利害も一致するのでしょうね。

 

新規のビジネス本、専門書のようなものほど、在庫を抱えるリスクが無い電子書籍の形態が適しているので、電子書籍化の流れはますます進んでいくのだと思います。

 

話を戻すと、インターネット上で活躍されている西野亮廣さんの本が、ようやく電子書籍になってよかったなあということです。購入した本、まだ第一章ですが読みやすいです。

 

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。

雨でしたが、今日の選挙、午前中に投票に行ってきましたよ。

 

 

 

taftaftaf.hatenablog.com

 

「積極的棄権」についての考察

「積極的棄権」という言葉があります。

 

選挙で特に投票したい候補者がいない場合に、選挙に行かないことで、反対の意志を表明することです。

 

文化人と呼ばれるような立派な人たちが薦めているやり方で、政治的意志の表明の仕方のひとつとされてきました。今回もマスコミやウェブでしばしば積極的棄権の呼びかけを目にします。

 

ですが、これって本当に正しいやりかたなのでしょうか。

 

お店にたとえて考えてみましょう。何のお店でもいいです。仮に定食屋にしましょうか。その定食屋の出す昼飯がまあまあの出来だったりします。量も値段もいいが、味はそこそこ。そういう場合に、もっと味を良くして貰いたいお客ーーこれを貴方と想定しましょうーーは、どういう行動を取るのが正しいでしょうか。「そのお店に行かないようにする」。なるほど。それもひとつの選択肢のように見えます。もしそれでお店がつぶれるのであれば。しかし、まあそのお店はそこそこのお客が来るとしましょう。貴方が行かなくても潰れません。でも、そのお客の数はお店の目標値の半分くらいです。

 

ここで<Q1>です。

 

量も値段もいいが、味はそこそこの定食屋。客足はまあまあ。味を改善してもらいたい貴方は、お店に行かないことにした。この場合、もっとお客を増やすしたいと考えているお店側のアクションは、どのようなものが考えられるでしょうか。

 

 

 

…………

 

 

一番手っ取り早いのは、今来ているお客さんに、どうしたら良いか改善策を募ることです。そこで来ているお客は、量と安さを求めて来ていることが想定されますから、量と安さが強化されることになり、味については放置されることになります。

 

ですから回答<A1>です。定食屋の量と安さが改善される。味は放置されるか、下がる。

 

味を改善してもらいたかった貴方の意見が採用されることはありません。何故なら、貴方はもうその「お店のお客」ではないからです。マーケティングのターゲットからみずから外れてしまったのです。

 

f:id:taftaftaf:20171015155438j:plain

 

もう少し思考実験を続けましょうか。<Q2>です。

 

たとえば、貴方が選挙を運営する官僚のひとりだったとします。与えられる情報は、「投票率、当選・落選した人が得た票数・白票/無効票の数」。これらの情報から、「積極的棄権」をした人の多寡とその人の考えを分析しなさい、という課題を与えられたらどうしますか?

 

 

 

…………

 

 

 

当選・落選した人や党の傾向から、支持されている政党や政策の傾向はわかります。白票/無効票の数から、選挙に不満だった人がわかります。投票率から、選挙への関心の有無がわかります。では積極的棄権については? 数も、その人の思いも、マスデータとしてわからないんですね。もちろん現在はSNSが発達していますから、ブログ等で意見は取れますが、母数が少ないミクロ情報ですので、参考情報程度の扱いでしょう。マスコミ? 偏向報道の実情は、皆さんご存知の通りです。複数のメディアをチェックして、偏向バイアスがどの程度なのか見極めないと使えない情報ばかりです。

 

 回答<A2>です。「データ不足により判定不能」。マスデータからは、ただのサボりと積極的棄権は、外面上は区別がつかない。調査したとしても、ミクロデータは参考情報以上にはならない。

 

 

以上より、「積極的棄権」という戦術は、有権者の意見を為政者に届けるのに、とても効率の悪いやり方だと考えられます。

 

棄権するほど不満があるのなら、自分が立候補して議員になって政治を変える、という選択肢もあるのです。日本は民主政治の国ですから。むしろそちらのほうが有効で自然な対策です。

 

誰が総理になっても同じだ…なんていう時代がありましたが、そのときはそれだけ人材が豊富だったということだと思っています。誰でも同じだと思って批判の上手な人を大臣に据えてみたら、株価が半分の8000円台になって投資は抑えられ仕事がなくなり新卒の人たちは就職できず、大災害が起こってもうまく救援対処ができず、外国からは侮られて領土侵犯が繰り返される……なんて年代がありました。ほんの10年前かそこらの話です。

 

何かを変えたい、あるいは、何かを維持していきたいなら、とにかく自分の意見を表明することが第一歩だと考えています。

 

 

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。

よろしければ関連記事もどうぞ。

taftaftaf.hatenablog.com

 

【革命のファンファーレ】

西野亮廣さんのビジネス書。kindle版で購入。1日で一気読み。

 

 

 

 

5000部でヒットと呼ばれる絵本業界で、「えんとつ町のプペル」で32万部超えを達成。数万件の反対意見絵を押し切って絵本の無料公開に踏み切り、メガヒットを達成。正答率0.01%の問題を当てた男のノウハウが惜しげもなく後悔されています。格好よすぎる。

 

フリーミアム戦略を取った背景には、綿密なマーケティングと突き詰められた計算があったことが、さらりと書かれています。読み込むほどにビジネスの原点に立ち返る思考とノウハウがいっぱい詰まっていることがわかります。内容はぜひ本書を手にして確認してもらいたい。

 

 

 

投票率が低い世代は損をする

突然なんですけど、選挙のことで考えてみました。

 

2017年、もうすぐ衆院選挙もありますし。たまには真面目に考えてみましょう。

 

 

よく若年層の投票率が低いと新聞やテレビのメディアで言われますよね。オチとして、若者の政治意識の問題だーーという話になるんですけれど、よく考えると、投票率の低い世代って損をすることが多いのでは……という話です。

f:id:taftaftaf:20170910215732j:plain

 

どういうことかと言いますと。

 

どんな偉い政治家の人も有権者の意向を無視することはできませんよね。何故かと言えば、政治家は選挙によって選ばれているからです。もっと言えば、投票してくれる人によって選ばれているからです。結果、選挙で選ばれた政治家は、投票者のことを意識して仕事をしますよね(もちろん建前では全国民のために仕事をします)。

 

さらに言えば、政治家の仕事というのは、大きな意味での「利害調整」です。あちらの利益をこちらに回す、そんなシーソーゲームのようなもので、悪い意味ではなく、帳簿に残らないバーター取引の積み重ねで実務が構成されています。

 

そういう利害調整をするときに、意見が反映されるのはやはり声の大きい人の意見。逆に反映されないのは、声の小さい人のそれ。つまり、選挙に行く世代の声は反映されて得をするけど、選挙に行かない世代の声は反映されず、むしろ損を押し付けられる、ということです。

 

もっと踏み込むと、今の高齢者世代(50代以上)と、その下、特に現在アラフォーである就職氷河期と呼ばれた世代(20〜30代)の経済格差がすごくあります。年金が破綻するんじゃないかという声も多いですが、働きざかりの世代で非正規雇用のため経済的に破綻している人が既にいます。

 

(参考)

【20代】287万円(単身世帯)、385万円(二人以上世帯)
【30代】957万円(単身世帯)、612万円(二人以上世帯)
【40代】1594万円(単身世帯)、939万円(二人以上世帯)
【50代】2431万円(単身世帯)、1650万円(二人以上世帯)
【60代】2462万円(単身世帯)、1963万円(二人以上世帯)
「家計の金融行動に関する世論調査(2016年調査)」

 

日本の高齢者がお金を溜め込んでいるのは有名な話で、この貯蓄を動かそうと投資を推進したり(J-SOXなどの会計透明化はこの流れもある)、税制をいじったり(相続税を高くし、贈与税を安くして生前贈与を促す)して、お金が必要な若い世代に財産を移そうとしていますが、動きが小さい。

 

この動きが小さいのは、若い世代の投票率が低いことが間違いなく影響していると思います。だって、政治家にとっては、投票してくれる高齢者の資産を移して減らすという話なのに、利得者で子育てでお金も必要な若めの世代の票が増えなかったら、施策を打つ政治家としてはリスク高いですよね。丸損です。このままじゃいけないかも知れないけど、でも票は増えないことがわかっちゃっているんです。何故なら若い世代の投票率がそもそも低いから。リスクをおかして若い世代に貢献しても、政治家にリターンが無いことになっちゃう。じゃあやっぱり施策をうつのはやめておこうか、という話になっちゃっても不思議じゃない。

 

高齢者の方が母数も多いのに投票率が高く、若い世代は母数が少なくて投票率が低かったら、どう考えても高齢者重視の政策になります。この論理的な帰結は、現実にも明確に現れています。高齢者の問題は毎日ニュースで取り上げられますが、若者世代の問題はニュースでは取り上げられることは少ないのは、体感でわかると思います

 

参考:世代別投票率

f:id:taftaftaf:20171001214745p:plain

(第46回衆議院議員総選挙における年齢別投票率 より抜粋)

 

 

「若い世代がトクをするような政策が無いから投票しない」という主張はいっけん一理あるように見えますが、実際に動いた事がない人を誰も信用しません。普段投票に行かない人たちが、良い政策が出たら本当に選挙に行くのかっていう話です。なので、政治家や官僚の誰かが、若い世代向けの政策案を出していたとしても、優先順位を下げられるか、盛り上がりに欠けると判断されてお蔵入りになることが多いのだと推測しています。

 

実際、橋下現市長の大阪都構想では、下馬評では評価が高かったのに、実際の選挙では支持層の投票率の低さが響いて負けてしまいましたからね……。あれは忘れてはいけない失敗だと思います。

 

投票可能年齢が18歳まで引き下げられたのは、この若い世代ー高齢世代の格差をなんとかしよう! と思っている官僚さんが居るということだと思うのですよね。投票の下限を18歳まで下げれば、若い世代の票が少しでも増えますから。ニュースではいまいち盛り上がらず、意識高い系の高校生を紹介して終わっていましたけど、背景はそういうことだと考えています。

 

 

若者の政治離れ、なんていう文脈で語られることの多い投票率問題ですけれども、「世代間の政治格差」と捉えなおしたら、問題点が伝わったりしませんかね。高齢者の課題は国の課題になるけれども、若い世代の課題は国には伝わらないということですからね。

 

若い人、特に20〜30代の人たちは選挙に行きましょう、という話でした。

 

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。

世代格差の問題は、欧州だったら連日デモが起こってもおかしくないレベルですよね。

 

 

 

 

 

 

関連記事。

 

賢そうに怪しいことを言う人が多いです。

taftaftaf.hatenablog.com

 

(追記)選挙の投票率の結果はこんな感じでした。歴代ワースト2位ですが、台風21号が列島を横断していったことを考えれば上出来だと思ってます!

taftaftaf.hatenablog.com

 

Jコインは空振りするのでは

日本の大手・地銀が連合して共通の仮想通貨を発行しようという動きがあると報道されました。その名も「Jコイン」。

 

これは来るのではないか、リップル(アルトコインの一種)終わるかとも思いましたが、なんというか、Jコインはどうしようもない代物になりそうですね。

 

ポイントは「Jコインは、価値が変動せず、日本円と完全に連動する」ということ。要はただのApplePayやSUICAと同じ、電子マネーの一種です。市場につながっておらず、価値変動もしないということは、通貨としての独立性や海外での流動性もないので、何を目的として導入しようとしているのか、ちょっと理解に苦しみます。これが新聞の一面にばーんと載ってしまうというのも、なんだかなあって。思っちゃいますね、申し訳ないですけど。

 

f:id:taftaftaf:20170919002353j:plain

 

新しいものがオールドメディアに取り上げられるころには、なんというか新しいものが出てきたときの煌めきというか、未来感みたいなものが終わってしまうような感じがして寂しく感じます。

 

ビットコインを旗頭とする仮想通貨には、これから実需も出てきてまだまだ未来があると考える派なのですが、こうやってオールドメディアで連日取り上げられるようになってきたということは、一通り情報が行き渡り、ひとつの波が終わりつつあるという証拠なのかも知れませんね。

 

大概、物事というものは、あがる前には勢いをつけるために一度さがるもの。ジャンプする前には膝を沈めるもの。長いスパンで見れば必要なことなんでしょうけどね。

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。

思ったことをさくさく書いてみました。

 

 

好きなように書けばいいじゃない宣言

「ブログに何を書いたらいいんだろう」ってよく考えていました。

 

何を書いたら面白いんだろうか、とか。

 

こんなことを書いたら批判されるんじゃないだろうか、とか。

 

あれを書いたらアクセス数が減るんじゃないか、とか。

 

書きもしないで頭をひねって、なにを書いてもダメな気がして、結局何も書かないような日が多くなりました。

 

 

そんな日が続いたある日、急に悩むのが面倒くさくなりまして。

 

「趣味で書いているはずなのに、なんでこんなに悩まなければダメなんだ。バカバカしい」

 

結局、好きなことを好きなように書けばいいんじゃないかという考えに至りました。

 

f:id:taftaftaf:20170912212952j:plain

 

 

普段、面倒くさいことを後ろ向きに考える癖がついている人間です。考えていることをそのまま書いても、読んだ人を不快にさせるだけなんじゃないかってずっと思っていたんです。でも、自分の根源の感情をさらすこと無しに、人の感情を動かすような文章が書けるわけがない。一見楽しそうな、明るそうな、けれどあたりさわりの無い文章なんて、まさにハードディスクのゴミですよね。つまらなくても真情が込められた記事なら、きっと誰かの心に触れることができる。少なくとも、未来の自分が読んで役に立つ。いや役には立たないかも知れないけれど、ちょっと感動する。きっと。そんな気がします。

 

 

f:id:taftaftaf:20170912213013j:plain

 

 

森博嗣さんという元名大教授の作家さんがいらっしゃいます。わたしは森さんの小説が好きなのですが、より好きで面白いと思うのはエッセイです。そしてさらに好きなものがあり、それが日記です。森さんは、もう20年位前のことですけれど、毎日元旦も休まず日記を書いてウェブにアップされていました。その日記の量が半端なくすごいのです。ウェブはもう消されていて読むことはできませんが、まだ書籍として出版されていて今も読むことができます。本文も注釈もボリューミーで、二郎ラーメン特盛りを連想させる量なのです。

 

「量は正義」という格言を今おもいつきました。そうです。量は正義なのです(たぶん)。少なくとも、質が同じなら量が多い方が正しいのです。そういうわけで、過剰なくらい文章をぶちこみたいと思ってみたりしたわけです。今後は量と更新頻度を重視するブログを書いていったりするかも知れません。でもすぐに飽きたらすいません。実験ですね。毎日が答え合わせです。

 

 

 

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。

口直し用に貼り付けてある写真で、心をなだめていただければ幸いです。