読み耽り書き散らすのが理想の生活

ネット的世界の端っこで考えたことを書き留めているだけのブログ。

投票率が低い世代は損をする

突然なんですけど、選挙のことで考えてみました。

 

2017年、もうすぐ衆院選挙もありますし。たまには真面目に考えてみましょう。

 

 

よく若年層の投票率が低いと新聞やテレビのメディアで言われますよね。オチとして、若者の政治意識の問題だーーという話になるんですけれど、よく考えると、投票率の低い世代って損をすることが多いのでは……という話です。

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どういうことかと言いますと。

 

どんな偉い政治家の人も有権者の意向を無視することはできませんよね。何故かと言えば、政治家は選挙によって選ばれているからです。もっと言えば、投票してくれる人によって選ばれているからです。結果、選挙で選ばれた政治家は、投票者のことを意識して仕事をしますよね(もちろん建前では全国民のために仕事をします)。

 

さらに言えば、政治家の仕事というのは、大きな意味での「利害調整」です。あちらの利益をこちらに回す、そんなシーソーゲームのようなもので、悪い意味ではなく、帳簿に残らないバーター取引の積み重ねで実務が構成されています。

 

そういう利害調整をするときに、意見が反映されるのはやはり声の大きい人の意見。逆に反映されないのは、声の小さい人のそれ。つまり、選挙に行く世代の声は反映されて得をするけど、選挙に行かない世代の声は反映されず、むしろ損を押し付けられる、ということです。

 

もっと踏み込むと、今の高齢者世代(50代以上)と、その下、特に現在アラフォーである就職氷河期と呼ばれた世代(20〜30代)の経済格差がすごくあります。年金が破綻するんじゃないかという声も多いですが、働きざかりの世代で非正規雇用のため経済的に破綻している人が既にいます。

 

(参考)

【20代】287万円(単身世帯)、385万円(二人以上世帯)
【30代】957万円(単身世帯)、612万円(二人以上世帯)
【40代】1594万円(単身世帯)、939万円(二人以上世帯)
【50代】2431万円(単身世帯)、1650万円(二人以上世帯)
【60代】2462万円(単身世帯)、1963万円(二人以上世帯)
「家計の金融行動に関する世論調査(2016年調査)」

 

日本の高齢者がお金を溜め込んでいるのは有名な話で、この貯蓄を動かそうと投資を推進したり(J-SOXなどの会計透明化はこの流れもある)、税制をいじったり(相続税を高くし、贈与税を安くして生前贈与を促す)して、お金が必要な若い世代に財産を移そうとしていますが、動きが小さい。

 

この動きが小さいのは、若い世代の投票率が低いことが間違いなく影響していると思います。だって、政治家にとっては、投票してくれる高齢者の資産を移して減らすという話なのに、利得者で子育てでお金も必要な若めの世代の票が増えなかったら、施策を打つ政治家としてはリスク高いですよね。丸損です。このままじゃいけないかも知れないけど、でも票は増えないことがわかっちゃっているんです。何故なら若い世代の投票率がそもそも低いから。リスクをおかして若い世代に貢献しても、政治家にリターンが無いことになっちゃう。じゃあやっぱり施策をうつのはやめておこうか、という話になっちゃっても不思議じゃない。

 

高齢者の方が母数も多いのに投票率が高く、若い世代は母数が少なくて投票率が低かったら、どう考えても高齢者重視の政策になります。この論理的な帰結は、現実にも明確に現れています。高齢者の問題は毎日ニュースで取り上げられますが、若者世代の問題はニュースでは取り上げられることは少ないのは、体感でわかると思います

 

参考:世代別投票率

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(第46回衆議院議員総選挙における年齢別投票率 より抜粋)

 

 

「若い世代がトクをするような政策が無いから投票しない」という主張はいっけん一理あるように見えますが、実際に動いた事がない人を誰も信用しません。普段投票に行かない人たちが、良い政策が出たら本当に選挙に行くのかっていう話です。なので、政治家や官僚の誰かが、若い世代向けの政策案を出していたとしても、優先順位を下げられるか、盛り上がりに欠けると判断されてお蔵入りになることが多いのだと推測しています。

 

実際、橋下現市長の大阪都構想では、下馬評では評価が高かったのに、実際の選挙では支持層の投票率の低さが響いて負けてしまいましたからね……。あれは忘れてはいけない失敗だと思います。

 

投票可能年齢が18歳まで引き下げられたのは、この若い世代ー高齢世代の格差をなんとかしよう! と思っている官僚さんが居るということだと思うのですよね。投票の下限を18歳まで下げれば、若い世代の票が少しでも増えますから。ニュースではいまいち盛り上がらず、意識高い系の高校生を紹介して終わっていましたけど、背景はそういうことだと考えています。

 

 

若者の政治離れ、なんていう文脈で語られることの多い投票率問題ですけれども、「世代間の政治格差」と捉えなおしたら、問題点が伝わったりしませんかね。高齢者の課題は国の課題になるけれども、若い世代の課題は国には伝わらないということですからね。

 

若い人、特に20〜30代の人たちは選挙に行きましょう、という話でした。

 

 

 

 

 

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世代格差の問題は、欧州だったら連日デモが起こってもおかしくないレベルですよね。

 

 

 

 

 

 

関連記事。

 

賢そうに怪しいことを言う人が多いです。

taftaftaf.hatenablog.com

 

(追記)選挙の投票率の結果はこんな感じでした。歴代ワースト2位ですが、台風21号が列島を横断していったことを考えれば上出来だと思ってます!

taftaftaf.hatenablog.com

 

Jコインは空振りするのでは

日本の大手・地銀が連合して共通の仮想通貨を発行しようという動きがあると報道されました。その名も「Jコイン」。

 

これは来るのではないか、リップル(アルトコインの一種)終わるかとも思いましたが、なんというか、Jコインはどうしようもない代物になりそうですね。

 

ポイントは「Jコインは、価値が変動せず、日本円と完全に連動する」ということ。要はただのApplePayやSUICAと同じ、電子マネーの一種です。市場につながっておらず、価値変動もしないということは、通貨としての独立性や海外での流動性もないので、何を目的として導入しようとしているのか、ちょっと理解に苦しみます。これが新聞の一面にばーんと載ってしまうというのも、なんだかなあって。思っちゃいますね、申し訳ないですけど。

 

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新しいものがオールドメディアに取り上げられるころには、なんというか新しいものが出てきたときの煌めきというか、未来感みたいなものが終わってしまうような感じがして寂しく感じます。

 

ビットコインを旗頭とする仮想通貨には、これから実需も出てきてまだまだ未来があると考える派なのですが、こうやってオールドメディアで連日取り上げられるようになってきたということは、一通り情報が行き渡り、ひとつの波が終わりつつあるという証拠なのかも知れませんね。

 

大概、物事というものは、あがる前には勢いをつけるために一度さがるもの。ジャンプする前には膝を沈めるもの。長いスパンで見れば必要なことなんでしょうけどね。

 

 

 

 

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思ったことをさくさく書いてみました。

 

 

好きなように書けばいいじゃない宣言

「ブログに何を書いたらいいんだろう」ってよく考えていました。

 

何を書いたら面白いんだろうか、とか。

 

こんなことを書いたら批判されるんじゃないだろうか、とか。

 

あれを書いたらアクセス数が減るんじゃないか、とか。

 

書きもしないで頭をひねって、なにを書いてもダメな気がして、結局何も書かないような日が多くなりました。

 

 

そんな日が続いたある日、急に悩むのが面倒くさくなりまして。

 

「趣味で書いているはずなのに、なんでこんなに悩まなければダメなんだ。バカバカしい」

 

結局、好きなことを好きなように書けばいいんじゃないかという考えに至りました。

 

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普段、面倒くさいことを後ろ向きに考える癖がついている人間です。考えていることをそのまま書いても、読んだ人を不快にさせるだけなんじゃないかってずっと思っていたんです。でも、自分の根源の感情をさらすこと無しに、人の感情を動かすような文章が書けるわけがない。一見楽しそうな、明るそうな、けれどあたりさわりの無い文章なんて、まさにハードディスクのゴミですよね。つまらなくても真情が込められた記事なら、きっと誰かの心に触れることができる。少なくとも、未来の自分が読んで役に立つ。いや役には立たないかも知れないけれど、ちょっと感動する。きっと。そんな気がします。

 

 

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森博嗣さんという元名大教授の作家さんがいらっしゃいます。わたしは森さんの小説が好きなのですが、より好きで面白いと思うのはエッセイです。そしてさらに好きなものがあり、それが日記です。森さんは、もう20年位前のことですけれど、毎日元旦も休まず日記を書いてウェブにアップされていました。その日記の量が半端なくすごいのです。ウェブはもう消されていて読むことはできませんが、まだ書籍として出版されていて今も読むことができます。本文も注釈もボリューミーで、二郎ラーメン特盛りを連想させる量なのです。

 

「量は正義」という格言を今おもいつきました。そうです。量は正義なのです(たぶん)。少なくとも、質が同じなら量が多い方が正しいのです。そういうわけで、過剰なくらい文章をぶちこみたいと思ってみたりしたわけです。今後は量と更新頻度を重視するブログを書いていったりするかも知れません。でもすぐに飽きたらすいません。実験ですね。毎日が答え合わせです。

 

 

 

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。

口直し用に貼り付けてある写真で、心をなだめていただければ幸いです。

 

 

 

 

しばき隊のツイッター社へのデモによる表現の自由についての思考

 私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。

                   ーーヴォルテール

 

東京八重洲で、しばき隊を名乗る団体がツイッター社日本法人に向けてデモを行ったそうですね。ヘイトスピートと言われるツイートを印刷し、それを踏ませるというものです。

 

まず、公権力と関わりのない私企業に対してデモは成立しないはずなので、単純な威嚇行為ということになるのでしょうか。

 

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表現の自由は、民主主義という政治システムの中で自浄作用としての役割を期待されています。もちろんヘイトスピーチそれ自体は非難されるべきことなのですが、自浄作用が任せられている表現の自由の規制は、とても繊細に、慎重に行わなければなりません。

 

表現の自由を制限するときに、一番気をつけなければいけないことは、「思考停止」を誘発することだと考えます。

 

「ヘイトだから」「サヨクだから」「ファシズムだから」「ヒトラーと発言したから」とレッテル貼りすれば、それに関わる発言ができなくなる。言葉の真の意味や背景を考えることができなくなる。それが一番怖いことです。「それが全体のためになる」「みんなが我慢しているのだから、お前もみんなのために我慢しろ」・・・みんな、全体という言葉でよってたかって「思考を封じ」たのが、太平洋戦争だったのではないでしょうか。

 

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表現の自由」には、実は前提があると考えます。それは、「相手への敬意」です。「あなたはこう言ったが、僕はこう考える」という言葉に続き、(それに対してどう考えますか?)という無言の問いかけがあってーーつまり、議論してより良い結論を導こうという意思が底流にあって、初めて「表現の自由」は本当のものになると考えるのです。

 

相手の反抗を前提として、自分の意見も表明する「表現の自由」は、行使する人に色々なものを求めます。相手への敬意。自身の寛容。品位。高潔。相手が持つ自由との衝突。民主主義政体の構造理解。

 

 

いろいろ難しくて、自分もできているか自信がありません。というか、できていないと思います。けれど、自分が振りかざしているものが何か、わかろうとはしたいものですね。

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。

なんか言いたい放題してしまったかも。

 

 

 

 

【内田洋子さん 新刊】

 

イタリア在住でエッセイスト・ジャーナリストの内田洋子さんの新刊がこの8月に出ていたのでAmazonで即ポチ。内田洋子さんは文章のセンスがとてもいいんですよ。

この夏 最後の購入。

 

 

本当はKindleで買いたいんですけど、著作は一冊も電子書籍になっていなくて、場所は取りますが紙で購入。

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。

今年は冷夏だった分、逆に残暑が厳しくなるような気がしています。

 

 

 

【ジョブ理論】と【9プリンシパル】

 

クレイトン・M・クリステンセンさんの「ジョブ理論」と伊藤穣一さんの「9プリンシパル」を読んでいる。なかなか面白い。

 

なぜあの商品は売れなかったのか?
世界の経営思想家トップ50(Thinkers50)連続1位。
「破壊的イノベーション論」の提唱者、クリステンセン教授による、待望の最新刊!

顧客が「商品Aを選択して購入する」ということは、
「片づけるべき仕事(ジョブ)のためにAを雇用(ハイア)する」ことである。

Amazon内容紹介)

 

 

 

 

 

私たちはいま、激変する世界に生きている。
この変化は例えて言えば、世界を動かすOSが一新されたような大変化だ。
しかもこれは、少々バージョンアップがされているだけではない――
新しいメジャー・リリースなのだ。だから、慣れるまでに時間がかかる。
本書はこの、世界というシステムの新しい論理についての、シンプルだが強力なガイドラインである。
ビジネスの「ゲームのルール」の激変ぶりに、イノベーションの恐るべきペースの速さに、
むち打ち症(whiplash)にならずついていくために不可欠な、
「9の原理(ナイン・プリンシプルズ)」。 

 (Amazon内容紹介)

 

 

 

 

 

 

社会のバージョンアップで法整備が大変そうだから、推進させるアイデアを考えてみた

車の自動運転、仮想通貨、遺伝子治療など、新技術の登場で社会がまたバージョンアップしようとしています。VALUなんてもうまった無しの段階ですね。

 

そんな中、運用するための法律の制定の進みが遅いことが問題になっています。むべなるかな。現在の社会の仕組みだと当然のことだと思います。

 

規定の法規制の網にひっかからないような新しいサービス、商品、存在が出てきたときに、なぜ法律の制定が遅れるのか。日本の法制度というものが本質的にコンサバであるというのもその理由のひとつですが、わたしが思うに、法律を制定する前段取として、新しく登場したサービスや財のその本質を考え、分析、論じ尽くす作業をする人がいないからではないでしょうか。

 

いや、厳密にはいます。おそらく官僚や議員、まあ官僚がメインでやっていると思います。しかし、いくら優秀な官僚と言っても、新しいモノの本質をつかむには深く考える時間と議論が必要です。多忙な実務担当者にすべて任せるのはちょっと無理があるような気がします。

 


1) 相反する利益を守るのがルール。新しいモノへのルール設定は難度が高い

 

法律は、何かを守るためのルールです。

 

守るべきものがひとつだけならルールの設定は簡単ですが、ルールを決めなければいけないような事案は、だいたいいくつかの利益が相反関係にあるので、天秤がどちらかに傾き過ぎないようにするのがルール、法律の役割です。気ぜわしいですね。

 

相反する利益をバランスよく守ることのできるルールを設定するためには、その対象を、変な言い方かもしれませんが、抽象的に深く理解しておかなければいけません。

 

既存のものならこれまでの歴史で論じつくされていますが、新しいモノは、まだ本質が何か、未来はどうなるのか、どうするべきか、がわかりません。そういうことがわかってこないと、どの程度、どういう風にルールを設定すればいいのかわからないんですね。難度が高いミッションだと思います。

 

 


2)官僚さん涙目?

 

それで話を戻すと、本来こういう本質的な議論をするのは学者さんの役割になるとわたしは考えています。けれど、ご存知のように、現在の人文系の学者たちはその部門が専門化・細分化されており、新しいモノについてはだいたい専門外、まったくお手上げ、といった感じです。

 

20世紀末から21世紀初頭にこれだけ社会を変えた「インターネット」についても、日本の文系学者がその価値を論じている本はめったに見ません(私見です)。本屋やAmazonで見かけるのは、一番は外国の学者の翻訳本、次に日本の「有識者?」の解説本、そして新しく台頭しているブロガー等による解説本です。

 

法律を作るために新しいサービスの勉強をしようとしても、権威ある専門家がいないわけです。官僚さんもきっと涙目ですよね。次の行動として、大学の有識者のところにいろいろと質問しに行くのでしょうが、聞かれた有識者も普段研究していなかったら、回答する方もつらいのでしょうね。理系の専門家の意見を聞くとしても、彼らは技術の専門家であって、そのサービスを使って人間社会で起こりうるケーススタディの専門家ではないでしょうから、下調べからして難度が高そうです。

 

 

 


3)新しいモノの受け皿になる学問とアンサー案

 

新しい技術が出るその度に、新分野を創設してもいいとは思うのですが、新分野の改廃はけっこう非経済ですよね。

 

新しい技術が社会で実用化されるとき、その本質を考え社会に起こる影響の分析を一手に引き受けて考えてくれる、そんな受け皿となる学問があるのが一番です。そんな便利な学問はない……と言いつつも、世界の成り立ちと人の生き方についてひたすら考えるという学問をひとつ思いつきました。

 

それは 哲学です。

 

古代ギリシアを源流とする哲学は、世界の成り立ちも考える学問でした。この哲学者は万物は火であると言ったとか、別の人は水だとか、ある人は流転する、と主張したとか、高校の授業で覚えさせられたと思います。人間世界の周囲にある世界をどう認識するかというのは、どう生きるかにも関わってきます。

 

現代日本だと「人間がいかに生きるか」というテーマにやけに偏っていてショーペンハウエルとかデカルトとかなんとなく鬱っぽくて難解な本を分析している、という印象ですが、米国だと先進的ビジネスの基礎教養のように認識されているプログラムと並んで、哲学は人気学部らしいです。物事の本質を突き詰める姿勢が受けるんだとか。

 

そういうわけで、哲学が新境地を切り開いていくのはどうでしょうかね。

 

 

人文系の学問を学んでも仕事が無いと言われますけれど、どちらかというと「仕事があるのにしていない」という印象が強いんですよね。

 

たとえば、こんな問題があるとします。

 

遺伝子治療で倫理的に許される範囲はどこまでか、過去の類例・治療例を元に選択肢を示せ」とか。
「自動運転による交通事故の加害者に与える法的保護はどの程度必要か。判例および20世紀のモータリゼーションの進展と合わせて考えを示せ」とか。
「信用経済による資金調達方法では、どのような被害が想定されて、どのような規制方法を取るのが適当か。3案示せ」とか。

 

法律を作るにあたっては、このくらい問答を、しかもこの何倍と考えているでしょうからね〜(予想)。でもこのくらいのことでも解答を作るのに専門書を2〜3冊読んでおきたいですよね。わたしの場合は読んでも解答書けるかどうかわかりませんけど。。。

 

課題を考えるだけでなく、基調を説明した専門書を書いて供給してくれる人文系学者の層がどれだけ分厚いかがポイントでしょう。物事の本質を専門に考える哲学を基軸に、人文系学者が集まるとなんだか良さげじゃないでしょうか。

 

法律草案を作成する最後は、頭の良い官僚に丸投げするしかないんですけど、今は丸投げする土壌を急いで整えてやらないといけない気がしています。畑づくりと一緒ですね。こんな風に社会が動くと、きっと楽しそうですね。

 

 

 

 


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なんだかやたら長くなりました。長文お読みいただき感謝です。