村上春樹への憧れとギリシャ紀行
京都生まれ。早稲田大学在学中の1974年から東京国分寺でジャズ喫茶を開店。夜間はジャズバーで開店資金は夫婦でアルバイトと借金をして貯めた500万円で、店を続けながら1975年に7年在学した早稲田大学文学部を卒業。1978年に神宮球場で天啓めいたものを受けて、ジャズ喫茶を経営しながらキッチンテーブルで小説を書いた。
1979年4月、文芸誌『群像』に応募した『風の歌を聴け』が群像新人文学賞を受賞。作家デビュー。1981年に専業作家となることを決意し、愛着のあった店を人に譲る。そして数作を経て、1986年10月にヨーロッパへ。3年ほど、ギリシャ、イタリアへ渡り、短期滞在を繰り返して過ごす。そんな期間に書いた「ノルウェイの森」が1987年、430万部のベストセラーになる……。
村上春樹さんは、たふたふの敬愛する作家のひとりです。
上述した村上春樹さんの作家としての前半生略歴の通り、1986年から3年間、ヨーロッパに行って、そこで観光を織り交ぜながら文章を書く仕事をされています。
「遠い太鼓 (講談社文庫)」という書籍を出していて、その書籍に各拠点でのステイの様子が書かれています。内容は現代で言うブログみたいな感じです。
やってることもノマドワーカー。20数年前は、ノマドワーカーなんていう言葉はなかったですけれど、現代を先取りしたワークスタイルですよね。カッコイイ!
村上春樹さん拠点をローマに置きながら、各地の家具付きのアパートメントを借りてショートステイをされてます。ギリシャにはよく行かれていて、ショートステイだけでなく観光も含め、スペッツェス島、ミコノス島、クレタそれとロードス島で過ごされています。もちろんアテネにも何度も行ってます。ギリシャの大きな空港やフェリーの港があるのはこの都市しかないですからね。
村上春樹さんに憧れる僕もギリシャに行ってきました
2010年に筆者がギリシャ旅行をしたときは、さすがにエーゲ海の島々に滞在、とはいかなかったのですが、アテネを訪れたとき、エーゲ海の手近な島(エギナ島、Aegina)に行きました。これはこの島に行きたかったというよりは、行き先はどこでもいいから、船でエーゲ海を渡ってみたかったんですよね。船好きなので。
でも、筆者が旅行した当時、ギリシャも経済的にかなり良くない時期で、街もなんとなく寂しい感じでした。でもそのおかげで、前出の「遠い太鼓」観光国ギリシャという国のオフシーズンの物悲しさというか閑散とした雰囲気はなんとなくわかりました。
しかも、廃墟遺跡が多くて、旅行を通してギリシャは寂しい国だなあという印象でした。一人旅ということもあって贅沢旅行ではない旅行でしたが、ギリシャ本土ではなく、もっと観光地の島を回ってツーリスティックな旅行をしないと、観光国ギリシャの本当の姿は見えて来ないのかも知れませんね。サントリーニ島とか。
旅の教訓としては、「どうせギリシャに行くなら、エーゲ海クルーズ!」 …ですね。
ギリシャには、ギリシャ神話関連の遺物なんてまともに残っていなかったのも印象的です。それはキリスト教がギリシャに入ってきたとき、前時代の神々は異教の悪魔として祓われた(Exocised)のです。ギリシャ人自らが前時代の神狩りを主導し、自分のご先祖様たちが作った石像を破壊して回りました。女神の顔面を削り取り、☓印を付けて、さらにExocisedと刻み込む念の入れようは、普遍的な人間の愚かさを感じて寂しくなりました。
写真晒しタイム
アテネからピレウス、そしてフェリーでエーゲ海を渡り、エギア島へ行ったときの写真です。
アテネ(アティーネと発音していた記憶)には列車で入りました。
で、フェリー。
でかいフェリー。カーフェリーで車ごと乗れます。
高速船もあります。しゅばーって進みます。
外海に出ると青が深くなるエーゲ海。(高速船の窓越しの写真)
あっという間のエギア島。天気が悪い。
季節は春。
(2015年に村上さんギリシャを再訪して思い出の場所めぐりをしています)