読み耽り書き散らすのが理想の生活

ネット的世界の端っこで考えたことを書き留めているだけのブログ。

 経産省が韓国への輸出管理上の措置について英語での情報配信

 経産省が韓国への輸出管理上の措置について英語での情報配信をするまでの概要

 

韓国の戦略物資横流しを受け、日本経済産業省は、7月6日輸出管理上の優遇を取り消しした。しかし韓国は管理の瑕疵を認めず。韓国は戦略物資フッ素のトラッキングもできていない上に、輸出管理上の非ホワイト国である中国に物資の横流しをしていたことが判明。

 

しかし、韓国は日本の行動をほtんど空想とも言える曲解発表をしたうえ、日韓貿易戦争の開始を宣言。反政権の国内マスコミは、韓国に寄り添った報道を17日現在も続けている。

 

国内マスコミの偏向報道を配慮し、経済産業省の世耕大臣がツイッターを使って今回の処置について説明していたが、日本語での発表に終始していた。

 

日本の行動は総合的に極めて正当な処置だと筆者は考えるが、レーダー照射事件など、これまで韓国はまったくのでっちあげで対抗しきた。また韓国は虚偽を流布することに長けており、これまでに何度も国際社会をミスリードさせ、責任と批判を逃れてきた。

 

海外マスコミも独自取材をするわけでなく、原則的に当事者国の報道に沿って報道する。だから反政権の国内マスコミが韓国に寄り添った報道をすることで、韓国の良いように国際世論が作られてしまう。

 

今回もそうなってしまうのではと個人的に懸念していたところ、経済産業省が英語でも情報発信をすることにしたとツイート。筆者喜ぶ。

 

とても喜ばしいので、ブログに書いておくことにした。これはそのメモである。

 

 

実際のツイート

 

 

 

 

 

G20終了。あれこれ考えたこと

 

G20が終了した。

 

利害が相反している大国同士を一同に集めたにもかかわらず、大過なく終えたこと自体が大きな成果だったと思う。

 

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貿易体制の維持=米中間の平和の維持

 

首脳宣言も無事採択された。安倍晋三首相は閉会会合で「自由、公正、無差別な貿易体制を維持・発展できる共通点を見いだすことができた」と述べたという。

 

課題を解決しようと議論をすれば、たった2日の議論で終わるはずもない。そのなかで合意点を作り出した日本の存在感は、評価されてもいいと思う。「貿易体制の維持」というポイントで合意できたのは成果だと考える。

 

というのも米中貿易戦争は、総力戦が当たり前になった現代の戦争観において、軍事衝突の前哨戦とも捉えることができるからだ。経済の次はサイバー戦争、宇宙開発競争と進み、香港や台湾の問題を起点にして軍事挑発・衝突に向かう可能性もあった。だが米中は貿易でーー要は平和下でお互い利益を得ることを目指そうと、大枠でも意思疎通ができたことは意味のあることだ。

 

さらにファーウェイ問題では、安全保障の問題に関わらなければ米国企業との一部取引を認めても良いというトランプ大統領の発言もあった。習国家主席にすれば交渉の糸口だろう。これで両国の経済要人を逮捕合戦するような事態も当面避けられることだろう。

 

米中というグレートパワーの間に入り、立ち回るというのは、相当な外交手腕が無いと不可能だ。

 

イランにも行き、米中をはっきりと対決させず、さらに日本の利益になるように状況を持っていっているという事実を、各国が認識しているはずだ。日本の外交力の高さを示せたと思う。

 

 

韓国の孤立を確認

 

韓国については、「何もなかった」こと自体が成果だ。

 

・韓国が徴用工・レーダー照射問題で、譲歩する気がないことを再確認

・さらにその姿を主要各国が見た(日本の立場の正統性)

・徴用工問題において韓国を支持する国が現在のところ無いことを(おそらく)確認

 

中国・ロシアの横槍がないと判断したと思われる日本は、来週に韓国への経済制裁へと乗り出す。横槍が無いよう根回しの最終確認の場として、G20は適切だったはずだ。

 

これまで韓国が問題を起こしても、なあなあで済ませてきた。だが前提となる米韓同盟があやしい状況では、なあなあで済ませる意味もない。また韓国得意の”ムービングゴール””手のひら返し”によって何度も煮え湯を飲まされてきた日本が、毅然とした対応をしないと、逆に他国に侮られるだろう。

 

だが二国間の制裁に他国が干渉してくると、途端に話がややこしくなる。中国かロシアが韓国を支持して、中露韓と米日の代理抗争のようになることが日本政府の懸念事項だったはずだ。各国の意図の確認には、相当な注意を払っただろう。

 

 

パワーゲームの中の日本

 

アメリカ一強時代に比べ、外交は格段に難しくなっているはずだ。

 

グレートパワーがなくなったのに、中国という西側諸国的価値観を共有しない国が急激に伸びている。欧州は弱いままだし、米国はロシアから中国を仮想敵国に切り替えて動いている。

 

膨張したい中国の圧力。その中国の南を抑えるインドと良好な関係を築き、獅子身中の虫になることがほぼ確定している韓国とは距離を置き、米国だけでなくロシアとも不可侵の関係を保つ。日本は絶妙なパワーバランスの上に立っている。

 

相当シビアなコントロールが要求される状況だが、いま致命的な問題が無いのは、現在の政府の外交手腕が相当に優れているのだと思う。

 

G20が何事もなく終わったのは、実に重畳である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終身雇用終了。トヨタ自動車社長の重いコメント。今後のわたしたちの働き方を考えてみた

トヨタ自動車豊田章男社長が、「終身雇用を守ることはもう難しい」旨の発言をしたことで、先週、ネットの界隈が賑わった。

「滅私奉公はもう通用しない。将来給料あがるから若いうちは我慢しろは通用しない」「終身雇用をなくしたら今まで通りの会社への忠誠心は期待できなくなるぞ」「クビにならない特権がなくなる」など・・・。

 

個人的には、終身雇用はグローバルで見れば非常に珍しい仕組みなので、いずれ無くなっていく方向だと考えていた。だから、ついに来るものが来た、という想いだ。

けれど、”あの”トヨタ自動車からの発言となると、時代の転換点を感じずにはいられない。

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toyokeizai.net

 

トヨタ自動車の売上=フィンランドGDP

 

そもそもトヨタ自動車がどういう規模の会社であるかご存知だろうか。説明するほど賛美しているみたいになるのでできるだけさらっと書くが、トヨタ自動車は、自動車の世界トップレベルのメーカーで、売上高30兆円、営業利益2.5兆円(2018年度)の会社である。

改めてみると、30兆円とはすさまじい数字だ。

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世界の名目GDP(2018)https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html
単位:10億USドル

 調べてみると、30兆円は、だいたいフィンランドGDPと同じくらい。

経団連の中西宏明会長(日立製作所)が「終身雇用なんて・・・」という発言をしたときは、まあ売上は9兆でそれでも大きいが、浮き沈みのある電機業界ということでさもありなんという感じだった。だが、実業界の優等生筆頭である自動車業界のトップの言葉は、さすがに重みが違う。「あのトヨタが・・・」とトヨタを基準にした会話が成立するのもよくわかる。

 

終身雇用制度 とジャパン・ミラク

 

さて、日本では当たり前に語られている終身雇用制度が、世界的にも歴史的にも珍しい制度だという事実はご存知だろうか。似た制度はあり、個別の企業で事実上採用しているところもあるが、現代日本のようにほぼすべての企業が終身雇用と年功序列を前提にするような社会事例はごく珍しい。

まず、終身雇用制度が生まれてからほんの半世紀ちょっとしか経っていない。出てきたのは戦後になってから。1950年〜1960年の高度成長を背景に、年功序列を前提とした終身雇用制度が根付いていった。

すぐには大金はもらえないけれど、真面目に働いていれば月給は保証され、少しずつ給料があがっていくという終身雇用と年功序列の制度。つらくても我慢していれば必ずいいことがあるという労働者のインセンティブが保てる。経営者にしてみても、質の高い労働を長期に確保できる優れた制度だ。

しかし、その制度が世界中に広がらなかったのはなぜなのか。

少し立ち止まって考えてみよう。全従業員の給料が徐々にあがっていくというが、そのお金はどこから出てくるのか。それはもちろん、企業の売上・収益からである。ということはつまり全企業の売上・収益の成長が、全従業員の給料に反映されていくことになる。したがって、日本のすべての企業が年功序列と終身雇用を採用するのなら、日本全体が成長し続けることが前提になる。従業員の一般的な雇用期間である約40年に渡って。そんなことが可能なのだろうか?

そんな夢のようなことを実現してみせた時代が、実際にあった。戦後の焼け野原から立ち直りつつある1954年から1971年の間、日本の実体経済を毎年10%以上成長させた高度成長は、ジャパンミラクルと呼ばれた。その後も成長率は落ちるものの、バブル崩壊の91年まで年平均4%のペースで成長し続けた。経済環境が、終身雇用と年功序列というハイコストな制度を可能にしたのだ。

余談だが、江戸時代の武士の俸給は例外的な出世など、よほどのことが無い限り変わらなかった。収入が変わらなければ、余裕をつくるためには支出を押さえるしかない。だから、江戸武士のあいだでは「倹約」が美徳になったのだ。給与が上がり続ける世界は、売上をあげつづけなければいけない世界で、個人消費が奨励される世界でもある。だからバブル時期には、「消費」が美徳とされていた。どんどん稼いで、どんどん使え、というわけである。同じような武勇伝を会社のおじいさんから聞いたことがないだろうか。そういう美徳話は、日本人特有のものでなく、ただ単純に時代背景によるものだということがよく分かる。

 

転換

 

諸賢もご存知の通り、バブル崩壊後の日本の経済は順調とは言えなかった。1989年に39000円に迫った株価(日経平均)は、2011年には7000円を割った。1993年から2011年までに日本は5回もマイナス成長を経験した。有効求人倍率は1993年から2005年まで 1 を下回り、氷河期世代が生まれた。2009年にはリーマンショックが発生し、2011年に大手電機メーカーの三洋電機パナソニックの子会社になり、重複部門は中国ハイアールに売却された。日本が右肩あがりに成長し続ける時代は終わりを告げた。

参考:

日経平均株価 超長期月足チャート|1949年5月算出開始から現在まで | Base Views

 

右肩あがりの時代が終われば、成立しない制度が出てくる。年金制度、終身雇用制度、年功序列制度。これらの制度は、必要な費用が累積して年々積み上げられていく制度なので、それ以上に毎年稼ぐ必要がある設計になっている。

だから景気が悪くなるだけで機能しなくなる。蜃気楼のように脆弱な制度だったのだ。バブルが崩壊した30年前、平成が始まったころに無くなってもおかしくなかった。

けれど長く使った巨大なシステムはそう簡単には崩れない。それだけ戦後日本が積み上げたアドバンテージの量が凄まじかったということだと思う。けれど、徐々に崩れ始めている兆候はみえていた。

2000年以降に発生した転職の増加、非正規雇用の増加などはその好例といえるだろう。終身雇用と年功序列は、言ってみれば企業の労働力の囲い込みだ。企業が囲い込み切れない労働力は非正規雇用になり、囲い込むことを失敗した労働力が転職市場に流れ、あるいはその欠損を転職市場からの流入で補うシステムが出来上がりつつあった。

転職者と言えば、昭和・平成初期には裏切り者のようなニュアンスがあったものだが、そのニュアンスも次第に薄れていき、転職も当たり前のものになった。

 

 

終身雇用終了。これからの私たちはどう働いたらいいのか?

 

「終身雇用終了。そんなこと言われても、どうすりゃいいのかわからない」

という声も多いと思う。とりあえず、まずは落ち着いてほしい。2019年5月現在の株価は20000円を越えていて、経済環境は相対的に悪いけれども致命的ではない。労働組合の制度も生きているし、急にリストラの嵐が吹き荒れるようなことはない。いますぐ急な動きはないということだ。

だが今後起こってくることで、一番妥当なシナリオは、雇用の流動化が強まる、ということだ。ひらたく言えば転職する人が、今後さらに増えるということだ。そして、転職の位置づけもさらに変わってくるだろう。

 

 

年収をあげる=転職する の世界

 

日本では、転職すれば年収が下がるのだということが言われてきた。だがそれは年功序列と終身雇用ががっちりとしたシステムとして機能していることを前提にしている。しかし、一般的には、給与というのは需要と供給で決まる。従業員が持っている能力が、多くの企業から望まれれば、給与が高くなる。逆ならさがる。給与も市場原理にさらされている以上、当たり前のことだ。

日本以外のグローバルでは、転職を機会に年収をあげる人が多い。前職でスキルを鍛え、向上したスキルを次の会社で高く売る。そういうルーチンが成立しているのだ。

自分が海外(アジア地域)で働いた経験だが、現地の人たちは、転職するときに年収をあげる交渉をする。ベース給与にもよるが、転職で現状の1.5倍ぐらいの給与を要求するスタッフならざらにいた。そして経験則から言えば、前職と同じ給与を望む人材よりも、前職よりも高い給与を要求するスタッフのほうがハイパフォーマーだった。

 

終身雇用と年功序列の無い国の人たちの動き

 

海外で働いていたころを思い出すと、現地のスタッフは次のような感じで働いていた気がする。

 

1)転職とそれを前提にした仕事のやり方

前出の通り、スキルアップと次の転職が前提になる。だからあまり特定の社内でしか通用しない仕事は現地スタッフ好まれないし、離職率も高くなる。長くこの職場にいようと思う人材はレアなので、会社によってルールが違って複雑で、人材育成が遅い日本現地法人では重宝される。

一般的に、日本企業の仕事の仕組みは複雑で、人の入れ替わりを前提にしていない。それどころか一部の業務は属人化して、その人にしかわからないブラックボックス化しており、効率化もできない状況になっているところも多いと思う。今後は人の入れ替わりを前提とした仕事の構成が言われるようになる。RPA化・AI化の過程で仕事のやり方が作り直されると思うので、どこでも使える汎用的な仕事のやり方を学ぶことが大切になるだろう。

 

2)副業

自分の車を使って、仲間の送り迎えをする、ぐらいのことは普通にあった。

でも一番わかりやすいのはやはり中国人だと思う。ここでは中国人の爆買いを例にあげる。中国人の爆買いは、あれは日本で大量に購入した商品を、中国で売りさばいていたのだ。みんながみんな個人輸入商をやっていた、ということになる。中国現地法人のスタッフが日本に出張してきたときに教えてくれた。ちなみに個人輸入商の副業をやろうとしているひととそうでないひとは、購入する量の桁が違うのでよくわかる。ただ中国でも旅行と個人輸入を一緒にすることは、あまり上品なことだとみなされていないようで、良い企業に勤めている中国人はやっていなかった。ここ2年くらいは、経済が充分に成長して、個人の所得にも還元されて、日本製の品薄感もなくなって(日本製の人気がなくなった気がする)、爆買いも収まった。きっと別な副業を見つけているのだと思う。商売にうとい日本人は、中国人の爆買いを奇異の目でみていたけれど、内実はそんなところだったりする。

海外で爆買を薦めたいわけでない。個人の副業は、海外では割と当たり前に行われているということが言いたかった。なにかしらの副業で収入を複線化するのは、どんな状況でも自分を有利にする。終身雇用の制度がなくなっても有効な手段だ。

 

3)仲間づくり・親族とのつながり

会社が一生面倒見てくれるわけではない、ということであれば、一生付き合うコミュニティを探すのは当然だ。だから、現地のスタッフは、気の合う仲間づくりや親族とのつながりを、仕事よりも大切にしていたと思う。

日本との価値観の違いというよりは、雇用システムの違いによる利害関係の違いによるものだと思う。日本も、仕事よりも家族、友人、親族を優先する流れがより強くなるのだと思う。いまはライフスタイルの変更という視点で受け止められているが、この流れは加速し、当たり前のことになる。家族は一生モノだが、仕事は一定期間の付き合いしかないのだから、自然な価値判断だと言えるだろう。

 

 

おわりに

 

終身雇用と年功序列が本格的に消えていくことで、不安に思うところもあるが、見回して見れば、終身雇用と年功序列という制度自体が、歴史的にも世界的にもレアだ。ということは、そのレアな制度をもとに人生設計をしていた日本人も、とてもレアな存在だったということになる。

つまり、世の中には、終身雇用と年功序列とは関係ない世界観で生き、しかしそれでも立派に成功している人は、日本の外に目を向ければたくさんいる。お手本はたくさん転がっているのだから、不安に思うことは無い。レアな現状にしがみつき、素晴らしかったあの頃をもう一度呼び戻そうとするのは、沈みつつあるタイタニック号にしがみつくようなもので、逆にリスクが高い。

変化には前向きに飛び込んでいくほうが最終的には有利になるだろう。

 

 

 

 

 

池袋暴走事故と対策案

 

痛ましい事故がまた起きた。87歳の男性が運転する車が池袋の道路を暴走。歩行者らを次々とはね、ごみ収集車、トラックにぶつかって停止。幼い女の子が含む3人が死亡。運転者を含む40~90代の男女8人が重軽傷を負った。

 

mainichi.jp

mainichi.jp

www.yomiuri.co.jp

 

運転者は「アクセルが戻らなかった」と話をしているが、今のところ運転していたプリウスから異常は見つかっておらず、フットブレーキパーキングブレーキも使用したあとは見つかっていない。いずれ正式な調査結果が出るだろうが、事情はお察し・・・ということだ。

 

 

痛ましいけど、他人事ではない話

 

運転者は「いずれ運転免許を返納する」と話をしていたらしい。他人から見れば、「じゃあ早く返せよ」という話だろうが、車は日常の足だ。老齢になれば足腰が弱り、歩いての移動はもちろん、公共機関を使っての移動は難しい。複雑な経路を使う移動は若者でも一苦労だ。そうした状況で、「便利な自家用車移動」を手放すのは、よほど勇気が必要な決断だろう。高齢者当人が「まだ大丈夫だろう」と考えてしまっても自然なことだ。だが、加齢とともに大きな変化が必要なことを決断する判断力は弱くなっていく。大きな変化はたいがい痛みを伴う。そして、人間とは一般的に、加齢とともに痛みには弱くなっていくものなのだ。

87歳の運転者の経歴が徐々に明らかになってきている。勲章授与歴、通産省OB、一部上場企業の元副社長・・・。一般人よりも賢い人でなければ、これだけは華やかなキャリアは送れないだろう。しかしこんなキャリアを送った賢い人でも(逆に華やかなキャリアを送ったからこそかも知れないが)、結果として、免許返納の判断を誤ってしまった。我々のような一般人が免許返納のタイミングを間違えることは十分にありえる。

 

対策案:自動運転の早期実現

 

このブログの読者層を確認するすべがないのだけれど、広くみて、20代〜50代の範囲に入っているとことだと思う。ということは、読者諸賢ご自身に置き換えると免許返納など先の話なのだと思う。しかし、読者諸賢みなさまの祖父母・親世代はどうだろうか。70代〜90代で車を元気に運転している、という方は数多いのではないだろうか。

ある日突然の痛ましい事故を起こさないために、親や祖父母に、子や孫の立場から、免許返納を勧めることが大事だ。しかし、自分の肉親の日常の足を突然奪うというのは抵抗がある。

ここでは40代の子が70代の親に免許返納を迫るというケースを想定してみよう。まず親たちはまだ意志がはっきりしているので、おそらく素直に納得しないだろう。長い説得作業がある。移動が少なくなれば刺激が少なくなり、呆けてしまうのではないかという懸念もある。

代わりになる移動手段があれば良いが、バスや電車などの公共交通機関は、足腰が弱くなる高齢者にとって負担が大きい。3世代同居なら家族の持ち回り送り迎えすることで解決できるかも知れない。しかし同居していなければ問題はさらに難しくなる。

タクシーは悪くない選択肢だ。介護タクシーのような起業も選択肢にあるかも知れない。しかし、労働人口が減少する日本では、高齢者が運転するタクシーが高齢者の乗客を運んでいるのが現状だ。労働者の高齢化という問題の傾向は将来においても変わらないだろう。つまり問題の根本的な解決策にはなりえない。

そこで自動運転である。自動運転が社会実装されて一般的になれば、40代の子も70代の親が活発に外に出ていくのを安心していることができる。自動運転もまだ完璧ではないが、少なくとも痴呆高齢者が歩道の小学生の列に突っ込んだり、高速道路を逆走したりする可能性に比べ、自動運転のそれは相対的に低いだろう。

自動運転は未来志向の強い若者のための技術という認識が一般的だが、実はそうではないと筆者は考えている。高齢社会で高齢ドライバーが増える日本で、悲劇的な事故を防ぐための、有望な具体的解決策が、自動運転なのだ。

自動運転が早く社会実装されることを望む。

 

 

イタリア発イタリア着(内田洋子さん新刊)

 

イタリア発イタリア着
内田洋子
2019年2月発行
朝日新聞出版

 

 

 

エッセイとはなんだろう? 定義は? 他の文章の違いとは何か?

 

・・・とある人によれば、エッセイと他の文章を分けるのは「香気」の有無だそうだ。この文章には香気があるからエッセイ、無いからエッセイじゃない・・・。あやふやで主観的な定義だ。けれど、頷ける。

ある視点で切り取ることで、同じものごとや世界でも、見える世界の色が変わる。色が変わる。ものごとの角度がエッセイの肝で、エッセイストというのは視点の名手だと言えるかも知れない。

 

 

イタリア在住の内田洋子女史の新しいエッセイが出版された。

掲載されているエッセイは8編。「一 旅の始まり」「二 迷ったまま」と続き、「八 巡り巡って」で終わる。

イタリアでニュースソースを集め、日本に売る仕事をしている著者が、イタリアに来たばかりのころからが書かれている。はじまりは1970年代。すでに遠くなった昭和の追憶だ。

新しいものばかりに価値があるわけではもちろんなし。往時の遠国イタリアの日常の顔と、異文化に飛び込んだ当時の若き著者の戸惑いとタフさ、揺れる感情を知ることができる。 香り高いイタリアの往時の日常がわかるエッセイである一方、一人の日本人女性が寄る辺もないままに異国に飛び込んでいった冒険記でもある。

 

「もし語学が得意だったら、若いうちに異国に飛び込んで、職を得て働き恋をして、大冒険のような人生を過ごしてみたかった」

 

そんな想いを持って日々働く社会人や主婦の方にオススメしたい。このエッセイを通して、ひょっとしたらあり得たかも知れない、別の人生を想像してみるのも楽しい。

 

 

 

 

ビジョナリーな異能 堺屋太一さんを悼む

 

堺屋太一さんの訃報を今日知った。

 

2月8日に多臓器不全で亡くなられた。83歳。

 

惜しい人をなくした。とても残念だ。

 

www3.nhk.or.jp

 

 

経済産業省官僚。小説家デビューして退官。

 

団塊の世代」という言葉の生みの親として有名。しかも同名の小説「団塊の世代」で、ボリューム世代の高齢化が<民族の秋>を招くことを予言した。

小渕内閣のときに民間閣僚として経済企画庁長官を務めた。2008年の大阪府知事選挙で橋下徹氏のブレーン役として参陣。以降も(初期の)維新の会のブレーン役を務めた。

万博などのイベントごとに強く、愛知万博、上海万博、そして2025年の大阪万博誘致にも関わったのだそうだ。

 

本当にすごい人だと思っていたので、訃報に接し残念でならない。 とは言いながらも世間ではそこまで知られている人ではないと思うので、かの先生の凄さをここで語って置きたいと思う。

 

「知価革命」の凄み

 

私が堺屋さんの書いた知価革命という本を読んだのは、2002年頃だったと思う。古本屋で格安で手に入れた本で、これが堺屋さんの著作とのファーストコンタクトだった。本の要旨は、「モノがモノの価値(機能など)で評価される時代は終わり、モノに上乗せされるブランドや、情報それ自体が価値を持つ」というものだったと記憶している。

当時、この本はすごい! と思ったものだが、もっとすごいのはその本が1985年に出版されたものだということ。世の中の動向の予測精度に驚いた。

 

インターネット時代到来。ネットワーク上で情報が大量にやり取りされ、情報そのものが価値として認識される。

フェアトレードのように、ただのコーヒーではなく、途上国の働き手に適正な賃金を支払って収穫したポリコレなコーヒーであるという「ストーリー(情報)」が付き、300円のコーヒーが500円で売れる。

ブランドという情報がつくことで、服の値段が10倍になる。

プラスチックで出来た食器よりも、木製のもののほうがエコだという情報が付加され、高い値がつく。

仮想通貨がきっかけでお金の価値がゆらぎ、価値とは信用(=情報)だ、という説が出始める。

 

これらは21世紀の世相の一部だが、「知価革命」予言されていたことが、少しずつかたちを変えながら出てきているといえると思う。

堺屋さんの著作は多数あり、どの本も先見の明と歴史を俯瞰する教養にあふれているが、この「知価革命」が、堺屋先生の先見の明を鋭く表していると思っている。

 

 

名補佐役を描いた:小説「豊臣秀長

 

堺屋さんの著作は「秀吉(文庫・全4巻)」が有名だが、それよりも白眉だと思う小説、秀吉の弟で補佐役として影のようによりそった豊臣秀長を描いた小説「豊臣秀長(文庫・上下巻)」だ。

戦国時代に秀吉が行った偉業を、どうやって実務化していったのか? という疑問と解答が、小説の中に盛り込まれている。堺屋さん自身が元官僚であり、国事や国家レベルのイベントに関わった経験があるからこその疑問、問いの立て方だと思う。そしてこの問いが、この小説を、決定的に、特異に、また面白くしている。

史書を読みこんでいるだけの学者では、歴史的な偉業ーー墨俣一夜城・高松水攻め・兵糧攻めなどーーをどのように実務に落とし込んだのだろうだとか、現場ではこういう問題が起こるはずだけどそれをどう解決したのだろうとか、そういう疑問自体が出てこない。

一般に歴史家の先生はなにを(What)を重視しますが、こういう歴史書は面白くない。なぜなら「なにを」がわかっても、現代に応用できないから。歴史はアナロジーの学問。だから、なぜ?(Why) どうやって?(How)という視点がなければ、歴史を学ぶ意味がない。

雄図の裏には、地味だ絶対に必要な作業がある。それをこなす人物がいなければ偉業は達成できない。そういう基本的な事実認識を強く与えてくれる良書だ。

弟・秀長を失った途端、残された秀吉は無謀な朝鮮出兵を強行し、失敗。豊臣家の家運を衰退させてしまうという終末は、歴史の影に埋もれがちな、有能な補佐役の重要性を教えてくれる。

 

ビジョナリーな人物像

 

堺屋氏は、戦後の経済発展を支えた護送船団方式が20世紀末では通用しないことを主張。1960年に経産省に入省したことを考えると、自分がまさにやっていた仕事を否定するような、当時はそうとうに鋭い匕首のような主張だったのだろう。

その他、首都機能移転道州制などの地方分権、小さな政府、規制緩和、人口減に対する対策を訴えるなど、情報化社会、高齢社会、少子化社会を見据え、様々な提言をされた。

また景気刺激策に、万博を積極的に使う手法も採用していた。2020年の東京オリンピック以降の日本の景気動向が読めないなかで、堺屋さんが尽力した2025年に予定される大阪万博はひとつの道標になりうるものだと思う。

 

日本の将来を見据えたビジョンを描ける人は本当に稀な、異能の存在だ。その人を失ったことは、本当に残念でならない。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

business.nikkei.com

(2/16) 日経ビジネスにすごく良い記事が載っていたのでぜひこちらも。

「大いなる凡庸」を脱し、ひとりひとりが自分自身の幸せのかたちを追える社会を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「メモの魔力」は発想術の書

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知っている人は知っていると思うけれど、Showroom取締役の前田裕二さんという人が、昨年末に「メモの魔力」本を出した。前田さんは石原さとみの恋人のIT社長としても有名な人だ。ネットを見ない人でも、TVコメンテーターとして出演したりしているので、知っている人もきっと多いのではないかと思う。

「メモの魔力」というタイトルを見るとメモ術のようだけど、もう一歩踏み込んだ大変有用な本だったので、紹介したい。発想を豊かにしたい人や、クリエイティブな仕事や活動をしている人にはうってつけだ。

 

一般に言われているメモの役割

 

一般的にメモの役割は「忘れないようにする」ことだ。記憶だけだと忘れてしまうので、紙に書いておくわけだ。おつかいリストとか。

「記憶の外部保管」なんていう洒落た言い方をする人がいるし、メモをするのは「忘れるためだ」という人もいる。紙に書いたらもう脳に情報を保管しておく必要が無いから、脳のリソースを記憶から開放し、その分を思考に割り振ることができ、効率があがる・・・というわけ。

 

「メモで日常をアイデアに変える」「メモで思考を深める」

 

前田さんの立場は、従来のメモ術とは一線を画する。

彼はメモを取ることで日常をアイデアの宝庫に変え、メモで思考を深めるのだといい、さらにメモは人生における姿勢・生き方だとまで言い切る。ここだけ切り取ってしまうと飛躍があるように感じられるけれど、実際に本を読んでいるとなるほどと思えるのが不思議なところだ。

 

「メモで思考を深める」とは?

 

ここが最重要ポイントなので、繰り返します。僕のメモ術のエッセンスは、シンプルに3点です。
①インプットした「ファクト」をもとに、
②気づきを応用可能な粒度に「抽象化」し、
③自らのアクションに「転用」する。

 

前田さんはメモする事柄をみっつにわける。ひとつはファクト。次に抽象化。最後に転用だ。

どういうことかというと、まず「ファクト(fact)」は文字通り事実のことだ。

例えば、”コンビニAのスイーツをツイッターでよく見かける” などと書く。

 そして、ファクト以降が重要だ。

「抽象化」は、ファクトで書いたことの本質を書く。事実の再解釈をする、といってもいいだろう。眼の前で起こっていることに対して、考察を加える。

例)”コンビニAのスイーツは手軽に買えて美味しいから取り上げやすいし、拡散しやすい”

最後の「転用」は、抽象化した事柄をまた具体的な行動に焼き直すという作業だ。メモをとっただけでは何の意味を持たず、メモを通して学んだことが、実際に自分の行動に反映されなければ意味がない、というのが前田さんの考え方だ。まさに実践者。

例)”自分も美味しいコンビニスイーツをツイートすれば、いいねをもらえるかも”

 

 

抽象化がキモ

 

ここまで記事を読んで、勘の良い方はお気づきだと思うが、このメモ術は抽象化がキモだ。ファクトから質の良い抽象化できるかどうかで効果が格段に違う。

抽象化とは、端的に言うと、「具体的な事象の本質を考える」ことです。

抽象化とはつまり、思考を深めることだ。その目的は、再現性・汎用性を見出すこと。汎用性が高ければ高いほど、他のことに転用できる可能性があがり、効果は高まる。

じゃあどうすれば良いのか。というところも言及がある。やり方はやはり3つある。

例えば、目の前の現象や考え方を抽象化して、また別の名前をつけて呼び直す。これは「What型」と呼べるでしょう。一方で、目の前の現象にはどんな特徴があるか、ということを深掘りして考える。これは「How型」と呼びます。そして、ヒット映画があたった理由を抽出して、また別の企画に転用したい。このとき僕らは自分の心に、「Why?」と問うでしょう

 3つのうち、「How型」と「Why型」は抽象化できれば価値がより高いそうです。転用の幅が広がり、また転用したときのインパクトが大きいのだそうです。

 

 

終わりに。自分の中に課題があればより効果が期待できる。

 

具体的な課題が自分の中にないと、特に抽象化するモチベーションはあまり湧かないでしょう。そういった意味で、この、「解くべき課題の明確化」は、抽象化の前段階において、ビジネスパーソンがまず向き合わねばならない問題かも知れません。

 

自分の中に解きたい課題を持っていないと、この発想術は使いにくい。無目的に考えても、抽象化の指針がつかみにくいのです。まあ現状に不満のない人は、どんなメソッドもそもそも不要ということなんだけど。

問題意識を高く持って生きることが大切ということですな。

 

ところで、村上春樹スプートニクの恋人」で、すみれという女性が登場する。この女性は独白の中で、「自分は書かなければ思考できない。書くことで初めて思考できる」と言っていた。

すみれほどじゃないだろうけれど、頭の中だけでは思考が深まらない。書くことで、つまり明確に言語化することで、考えが深まる。その考えを深めるための手法を可能な限り仕組み化して一般化したのが、この「メモの魔術」だと感じた。

思考をするとニューロン回路に微弱な電流が走り、その経路が思考アルゴリズムだという。しかし、普通、何をどう考えているか、他人の頭の中は覗けない。逆に、他人に自分の思考を伝えようとしても、すべて伝えることは難しい。そして、伝える手段は言語しかないことに気づくだろう。考えていることをすべて伝えるのに、言語では不十分だということにも気がつく。

そう考えると、思考アルゴリズムを極限まで物質化し、メモというメソッドに落とし込んでくれた前田さんの存在が、とても貴重だと思えた。