読み耽り書き散らすのが理想の生活

ネット的世界の端っこで考えたことを書き留めているだけのブログ。

あけましておめでとうございます 2017

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


現在帰省している たふたふです。



お正月、お餅食べますよね。お雑煮食べますよね。お雑煮は地域でいろいろ作り方があると聞いてますけど、お餅は焼くか煮るかしてお雑煮にいれてますよね。


煮て柔らかくしたお餅を使う場合は、電子レンジを使うとお餅が簡単に柔らかくなるので簡単でオススメですよー。




どんぶりに水を入れ、その中にお餅を入れてチンするだけ。500W出力で3個3分でイケます。


鍋とコンロだと時間もかかるし、溶け出した餅が張り付いて後片付けも大変になるんですよね。。。電子レンジ技を教えてあげたら、母親が喜んでました。


というか、あれっ、いままでやってなかったんだ! という意外な思い。皆さんお餅をどう調理しているのか気になって夜も眠れないかも知れません。(誇張表現)


身近なひとのことでもわかっていないことがあるなあと、新年早々身が引き締まる思いです。(誇張表現)

2017年の目標。

今年もあと残り1時間を過ぎました。


ちょっとフライングかも知れませんが、2017年の目標です。



「好きなことを深化させる。」です。



抽象的な目標ですね。笑


具体的なことはまだ決めていないです。でも、好きなことが浅いってことは、人生が浅いってことなんだと最近よく思うんですよ。人生浅かったら、死ぬときに後悔しそうですから。


そういうことで2017年は好きなことを深掘りします。結果は直接的、あるいは関節的にブログでお知らせできるでしょう。



それでは皆さま!

よいお年を!


やり抜くちからが欲しい。

やり抜く力の本を読んでいる。

f:id:taftaftaf:20161230102911j:plain

 

養老孟司さんが、前にこんな内容のことを本の中で言っていた。

「アメリカというのは実にシンプルに考える国なんですよ。どのくらいシンプルかというと、世界は複雑だということが最近になってようやくわかってきて(カオス理論、複雑系の議論のこと)、学会で大騒ぎしてる」

 

このやり抜く力の本を読んでいて、思い出したのはそういうことだ。

 

物事を達成するのに真に大事なことは、才能ではなく、やり抜くこと。不屈の精神だというのは結構ありふれた話。

 

でもスポーツの世界などでありふれた「やり抜く力が最も重要だ」という話が、学問的に裏付けられたのは成果だと思う。ではやり抜く力というものはどういう風にしたら身につけられるか? あるいは伸ばすことができるのか? というテーマに移行できるからだ。

 

そのテーマの解答例を挙げてみよう。好きになること。ストレッチ目標を設定、クリア。それらを繰り返すこと。そして「歴史に残る大聖堂を作っているんだ」と思いながらレンガを積み上げること。・・・。

 

やり抜く力を伸ばすために、地味なことが大事だというのは、派手好きのアメリカ人にとってみると結構意外で目新しいことだと映るのかもしれない。「才能のある人が流星の如く現れ、ビジネスでのし上がって一生かかっても使い切れないくらいのお金を稼いぐ」というのが、なんていうか、アメリカ的成功のひとつの形だから。

 

努力が好きな日本人にとっては、そう目新しい内容はないかも知れないけれど、「やり抜くこと」を一度体系的に学びたい人、もしくは努力の仕方はわかっているけれども壁にぶつかっている人は、再検証のために、この本を手に取る価値があります。あ、あと、自分の子供にやり抜く力をつけるために、どう育てればいいか悩んでいる方にもお勧めです。

 

やり抜く力の本。親御さんは是非。

養老さんの本。

 

 

「自分は不幸?」 とりあえず確定させたら?

上機嫌を技にする本を読んでいていいこと書いてあった。

 
 乱暴にまとめてしまうと、「不幸は確定させてしまえ」ということだった。
 
 自分はひょっとしたら不幸なんじゃないだろうか、とふとしたときに感じるものだと思う。世の中の幸不幸は主観的なものだけど、同時に相対的なものでもある。
 
下には下がいるものだが、上には上がいるものだ。隣の芝生を垣間見た瞬間、あれ、ひょっとして自分は不幸なんじゃないだろうかと不安になる。そんなものだ。
 
でも、「自分は不幸かしら? いやそんなはずはない」ともやもやした状態をかかえて生きると気分は良くない。そんな状態で何かをしようとしても、物事はうまく運ばない。 ならばいっそ、自分は不幸である、と確定させてしまえばいい。 そうして、どうしたらこの不幸から抜け出せるか、少なくとも改善ができるかと頭を悩ませた方がよほど生産性があがるはずだ。
 
 わたしも自分が不幸かと自問自答を繰り返して悩むより、さっさと現実への対策を打っていきたいと思いまーす。 
 
 

 本当に地味にいいことが書いてある良書。

 
 
 今日も当ブログにお越しいただきありがとうです。

カジノ法案が通ったと聞いてワクワクしてる

カジノ法案が成立した。

 

 

 

依存症とかの話は前に書いたから脇に置いておくとして、カジノができたときの産業波及効果をあれこれ妄想してみたい。

 

 

 

わざわざ特区を作るのだから、カジノ法案が目指すはミニラスベガス。

 

 

ラスベガスには行ったことはないが、映画やエッセイではお馴染みの場所だ。ちなみに作家の浅田次郎さんはラスベガスが大好きらしい。

 

 

 

まさかカジノという箱だけぽんとおいて終わりじゃないだろう。ターゲット層は外国人を含めたハイクラス。エリアにはドレスコードも当然あるだろう。セキュリティも高度じゃなきゃいけないし、一方でVIPだらけの世界だからプライバシーも最高レベル。賭け事だけじゃなく、ハイクラスのショービジネス、グルメ、酒、宿泊施設も当然いるよね。最終的にはセレブ向けの最高級サービスを備えた不夜城だ。

 

 

 

今まで日本は国民平等、1億総中流の建前でやってきたから、本当の金持ちむけのコンテンツはなかった。いやあるところにはあるのかも知れないが、あんまり大っぴらになっていない。これは世界的に見れば珍しい。

 

 

 

富貴の差というのは、大きい方が世界標準だ。

 

 

日本では総中流でみんなが普通という建前のため、カジノのような「お金持ちオンリー」のコンテンツは珍しい。

 

 

カジノ構想がきっかけになって、新しい何かが出てくればいい。それがわたしの期待だ。

 

 

 

 

ショービジネスなんかは総合芸術だけど、海外、日本の金持ち相手なら限定上演ということで単価をあげられるだろうから、創作の自由度も高まり、少数層向けの前衛的な作品もできるだろう。それに、その場はパトロンが新しい芸術の才能を見出す場になるかも知れない。

 

 

カジノのように着飾る場が出来れは、服飾、宝飾業界にとっては新しく良質な市場が出来ることを意味する。新しい市場から新しいモードが発信されることもあるかも知れない。セキュリティやプライバシーも、IT技術を活かしてスマートに管理できるはずだ。高級感が必要だから先進技術が採用されるだろうし、またその実験結果から一般市場への展開もあるはず。羽田からカジノまでの直行リムジンやヘリのような特殊インフラも出来そうだ。

 

 

 

総じて言えば、お金をかけられる「ハイクラス市場の出現」は、予算がかかって簡単に一般市場に出せなかった商品やサービスの「実験場の出現」と同じだと思ってる。実験場が出来れば、いままでできなかった新しい何かが生まれてくるんじゃなかろうか。

 

 

 

カジノから始まる、新しい市場。新しい商品。一般市場への波及。

 

 

 

想像するとワクワクしますね!

 

 

 

 

 

 

 

今日も当ブログにお越しいただきありがとうです。

 

失敗や不幸にくよくよして不機嫌でいて、何かいいことがある?

上機嫌をスキル化するべきだと主張する本を読んでいる。 

 
失敗や不幸にくよくよして不機嫌でいて、何かいいことがあるだろうか? 
 
不幸そうにしていると誰かが助けてくらそうなものだが、残念ながら現実では逆だ。むしろ明るいひと、幸せそうなひとのところに救いの手は差し伸べられる。 
 
どうしてかは自分を逆の立場に置き換えてみればわかる。いつも不機嫌で暗いひとよりも、いつも元気で明るいひとを助けたくなるだろう。 いつも上機嫌で、明るいひとのところには自然とひとが集まる。これは時代や国柄を問わず共通していることだと思う。
 
 でも、いつも上機嫌でなんていられない、生きていればいくらでも嫌なことがある。今日だって家族と喧嘩した。仕事でそりの合わないひとと話した。普通のひとの生活はそんなものだと思う。 
 
でも、自分が受けた不機嫌や不幸をそのまま周囲に撒き散らしたら、どうなるだろう。俯瞰的にみたら、不幸、あるいは不機嫌な気のようなものが拡散し、あなたの周りのひとが少しずつ不幸になる。周囲の不幸はまたあなたにフィードバックされ、あなたはさらに不幸に、不機嫌になる。 
 
あなたはあなたで、不機嫌にくよくよして自分の内面にある不幸な思考を上乗せして加速させ、また自分のなかの不幸を強固にしていく。不幸ばかり感じることになる。 
 
この忌まわしい流れを、どこかで断ち切らなければならない。あなたはそう考えるだろう。 
 
 そこで、上機嫌のスキル化である。
 
 不機嫌や不幸をあなたのところであえてふっきり、忘れ、あるいはおしつぶして、あえて、上機嫌に振る舞ってみる。最初はぎこちないだろう。だがいずれうまくなる。上機嫌はスキルなのだから。さらに極めれば、そのスキルは体に溶け込み、生来の上機嫌と見分けがつかないくらいになるのかも知れない。
 
 思考は現実化するともいう。ならば、幸せそうな行動が幸せな人生を呼び込んでもまったく不思議じゃない。 
 
ひとつ言えるのは、くよくよするくらいなら、何かべつのことをやっていたほうがなんぼか生産的だ。俳優にでもなったつもりで、上機嫌に振る舞ってみてもいいんじゃないだろうか?
 
 
あのユリウス=カエサルも常に上機嫌だったらしいですよ。

 
 今日も当ブログに来てくれてありがとうです。