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伝統は変えられないものではなく、アップデートできるもの

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お花見に行ったら、桜だけでなく菜の花も満開でした。ピンクと黄色で視界がものすごく華やかでとても綺麗でした。アルコールのないお花見だったので、それも良かったかも知れませんね。今の季節にしか見られないものを見ると、なんだか得したなと思えます。

それとともに、ちょっと変な感覚かも知れませんが、「ちゃんとした日本人」をやっているなという気になります。四季のうつろいとともに、諸行無常・生々流転の「もののあはれの美しさ」を感じるのが日本人の感性。古典文学が栄えた平安の時代から1000年経っていますが、DNAレベルでそういう感性が根付いているのでしょうね。

 

伝統芸能である歌舞伎の挑戦し続ける姿勢

 

日本の伝統芸能のひとつである歌舞伎の起源は、江戸時代の始まりのころ、おくにという女性が始めたかぶき踊りにあると言われます。しかしこのように女性が起源となった歌舞伎ですが、開始から20年ほど経ったのち、風紀の乱れを理由に幕府から禁令が出され、女性が歌舞伎を演じることができなくなりました。そこで、これまでの女性役を男性が演じ、廃業の危機を免れた、という説があります。女性がいなければ男性がやるしかない、というものですが、ものすごく柔軟な対応です。

その伝統の初期から柔軟だった歌舞伎は、明治の西洋化や終戦後のGHQの指導など、時代の変化を受けながらも、演目や演出に変化を加えつつ、庶民の娯楽としてあり続けて現代に至っています。

現代21世紀の歌舞伎は昔の演目を興行するだけでなく、ワンピースのような人気漫画やニコニコ動画とコラボしたり、さらに液晶大画面やプロジェクションマッピングのような新しい技術による演出も取り入れて、ショービジネスとして明らかに進化しています。ただ伝統芸能の座にあぐらをかくのではなく、常に新しいものを取り入れ、挑戦し続ける姿勢は素直にすごいと思います。

大衆娯楽としてあり続けるための努力、誇り、不屈のプロ魂を感じます。なんというか、歌舞伎は、プライドを正しいところ、あるべき場所に、置けていると感じます。

 

また話は飛びますが、夏目漱石芥川龍之介のような文豪と呼ばれる人たちは、明治の当時は大衆小説家に過ぎませんでした。伝統から大きく外れた新しいスタイルの表現を持ち込み、それが大衆に受け入れられた結果、後世から文豪としての名誉と権威を与えられています。

これは、彼等が体面にこだわらず、大衆に受けるものを提供したからこそ、後世からの高い評価があると思います。当時、もし伝統にこだわり、新時代の価値観に合わそうとせずに、古典的な文筆にしがみついていたら、きっと彼等は名を残すことはなかったでしょう。

 

 

伝統はアップデートできるもの

 

ところで、土俵上での挨拶のときに倒れた男性を助けるために、女性が土俵にあがり、救命活動を施している最中に、日本相撲協会の協会員が、土俵から下りるよう指示したという事件がありました。

女性が土俵から降りた後に塩を大量にまいたとか、男性の救命士をそもそも用意していないとか、危機管理も出来ていないのに、実務よりも女性差別を優先していて、非常に不愉快な話がいろいろありますが、わたしの考える一番重要な論点は次のひとつです。

 

最重要論点:

・女性だということを理由に、土俵上での救命活動を中断させようとした

 

伝統は一言で言えば文化、歴史の積み重ねによるものですので、軽く扱う気はありませんが、今の21世紀の価値観において、人命よりも尊いものはそうありません。

人命を天秤にかけるときは、その先により多くの人命が失われる危険があるときだけだとわたしは考えます。

伝統は絶対不可侵のものではありません。伝統のルールを深掘りすれば、そのルールはなにか、価値的なものを守るために設定されたはずです。ですが、時代が移り変わってその守るべきもの自体が無くなって、ルールだけが残っていることがあります。守るべきものがないルールは、変えたり廃してしまっても問題ないはずです。逆に形骸化したルールを残しておくことは、害が大きいことが多い。

伝統は時代を超えるものですので、このように不要になったルールを廃止したり、逆に新たに設定したりという手入れが必要です。今風の言葉で言えば、”伝統のアップデート”とでも言いましょうか。

先程の例で言えば、人命よりも大切なものは無いわけですから、救助活動する女性は例外としたり、男性の救命士を常設したり、そもそも土俵には力士と行事しか載せないようにするなどの対策があります。

いくらでも対策があり、ルールは柔軟な運用もできます。そのための協会です。

 

必要なアップデートが出来ない伝統は、ただの思考停止にしか過ぎません。

思考停止になれば、時代に合わないということですから、大衆の支持を失うことになるでしょう。そうなれば、その伝統まるごと、つまり相撲協会と相撲というスポーツがまるごと寿命を迎えたととらえられます。そうなれば、自然淘汰されていくのを見守るのが正しい姿なのでしょうね。

 

 

 

 

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