トイレ革命
中国 習近平国家主席が、27日までに、観光業の発展に向け各地にきれいなトイレを整備する「トイレ革命」を推進するよう指示した、と報道がありました。今年10月末の時点で、目標を大きく上回る68000箇所のトイレを改修したり、新設したりしたそうです。
都市部だけではなく、農村部でもこのトイレ革命を推進する指示だそうです。貧困にあえぐ農村部にはトイレよりももっとすべきことがあるだろう、というのが報道の論調でした。きっと記事の筆者は、もっと貧困対策や福祉政策にちからを入れるべきだということでしょうが、わたしの考えは少し違います。
人の生活には、「これで当たり前」という概念がつきまといます。「これが常識」「これが普通」「当たり前」という声を聞きますが、「常識というのは20歳までに得た偏見のことである」という言葉があるように、人は自分の身の回りのことからしか、自分の判断基準を得ることができません。
海の魚が山の獣の生活を想像することができないように、まったく違う環境にいる存在の生活を想像することができません。いやそれどころか、我々は隣人がどのような習慣で生活をしているのか、知っているようで実は知らないはずです。複数の人間が共同生活をするときの難しさを思えば、生活習慣が微妙に違うということの壁の高さは想像がつくのではないでしょうか。
同じように、中国の都市生活者と農村生活者とも違います。今や都市生活者は日本人と変わらない衛生生活習慣を持っていますが、農村生活者は昔ながらの衛生観念が根付いています。しかし、中国の為政者の立場に立ってみれば、この都市生活者の感覚と、農村生活者の生活上の感覚をできる限り近づけなければならないでしょう。そのときに、何が手段として有効か。
都市生活者と農村生活者の生活をそっくりそのまま入れ替えてしまえば平準化できるでしょうが、現実的にはそのようなことはできません。
ではそれぞれの生活者の一部のクオリティを、出来る限り近づける。それには何を変えてやるのが有効か。人の生活には、どんな人でも、寝る、食べる、排泄する、が入っている。そのどれを選んだら最適か……。
こんな風に思考を追っていくと、偉い人が「トイレ革命が重要だ」と言い出す背景が少しわかる気がします。農村生活者がお金を稼ぐためには、都市生活者と同じ観念を持たなければならないでしょうから、両者が同じようなトイレを使うということは、その一歩にもなるわけです。
そもそも近代的なトイレを設置することは、衛生的になり、上下水道網の整備が進み、人々の衛生観念もあがるわけですから、波及効果は他にもありそうですね。
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人の意識を変えるには、まず身近なところから、ですね。