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この世は所詮 夢芝居

食べ物。日常。本。エッセイ。海外旅行。そんな感じ。ゆるふわなチラ裏を目指したい。

良書を見逃すことは、人生を逃すことと同じ

エッセー

17世紀、フランシス・ベーコンという人が、本についてこんなことを言ったらしい。

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「味わいつつ食べるべき本もあれば、手っ取り早く呑み込んでしまえば十分というほんもある。そして、少数ながら、くちゃくちゃよく噛んで、ちゃんと消化すべき本もある」

 

わたしはそこそこ本読みなので、毎月3〜6冊は本を消化する。(休暇期間は消化冊数が跳ね上がる)それでもまだ読みたい本が次から次へと現れるので、読まないまま積みあがる本、いわゆる「積ん読」がでんと山になってしまう。(最近は電子書籍が出てきて、積ん読はうずたかい山ではなくて、長いリストになった。本の置き場に困らなくなったのが本当に嬉しい。けれどこれは本稿の主題じゃないのでどこかで書く)

 

積ん読に手をつけた時は、買ってから長い間待たせた子たちなのだから、大切に読んでやりたい……と思うけれど、しかしどうにも内容がない本というのはある。

 

本だから文字は書いてあるのだが、文字が並んでいるだけで、自分にとって有益な情報じゃない、あるいはつまらない、いうものがある。

 

こういう時は、スパッとその本を読むのを諦めてしまって、次へ進むべきだ。本には読むべき時期があったり、つまらない本もそれなりの読み方というのが存在するのだけれど、でも、現代日本は毎月何十冊もの新刊が出る出版大国だ。読んだ時点でつまらなければ、前世からのご縁がなかったと思って涙を飲んで諦める。さよならだけが人生だ。次の出会いに期待しよう。

 

逆に、人生の指針になるような本に出会うことがある。人生には良き師が必要で、幸不幸は人との出会いが決めるというが、良き師も良き隣人の役割も本が務めるような人生がある。そんな時は、その本との出会いを逃さず、ラインを引き、書き込みしながら何度も読み返す。概してそういう本は、10年経った後でも新しい発見を与えてくれるものだ。そうして人生の短くない部分をその本と過ごすことになる。最初の喩えに戻れば「くちゃくちゃとよく噛んで消化すべき本」だということだ。

 

厳しいことを言うようだが、本の価値は全て等価ではない。

緩急軽重があり、それを判断し、読み方を決めなければならない。

「あなたの時間」という資源は間違いなく限られているのだから。

 

 

さて前置きが長くなったが、指摘したいのは、今述べてきたことは、決して本だけのことじゃないということ。人生を過ごすなかでの出会い、出来事、経験。そのいずれにも軽重がある。

 

それなりに年齢を重ねると、日常に起こること大体はいつも同じで、スルーしがちに生きている。膨大な出会いと出来事があるから仕方のないことだと思う。けれど、人生に深く影響する出会いや出来事は、そう多くない。

 

その数少ない、人生に深く影響する出会いや出来事を大切にできるかどうかで、人生の豊かさは変わってしまうのではないだろうか。

 

日常の忙しさにかまけて見落としてしまった本も出会いも出来事も、振り返って取り戻す時間を作ってみませんか。

 

 

 

 


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