人生をゲーム化して楽しもう! ということが書いてる本を読みました。
小学生の頃に熱中した某有名ゲームの名前がその本に冠されており、懐かしさという誘惑に負け、ついつい手が伸びてしまいました。本を読む前から、してやられた感と、自分自身の残念な誘惑耐性の低さに思うところありてつい遠い目をしてしまいました。
しかし、バリバリの資本主義の現代。
ダイマ、ステマ、ブクマやアクマが飛び交うリアルとオンライン。細かいことを気にしたら負け。培ったスルー力で自分の本当の気持ちをスルーしながら本を読み始めました。
人生ドラクエ化マニュアル<オーサーズエディション>: 定価5,500円のドラクエに面白さで負ける人生を送ってどうする!? (JUNZO)
結論から言うと、ドラクエとそれほど関係なかったけれど、タイトルよりもずっと真面目で、心に響くことががいくつもありました。
その本の内容を至極乱暴に要約してしまえば、
ゲームとは。
ある目的のために、独自のルールに沿って、敵との闘いを楽しむもの。
この定義を人生にぶち込んで、応用することで、人生もゲームのように楽しむことができる。
・・・というものでした。
確かに生きていると色々な困難にぶつかります。
けれどその時に、運が悪いとただ嘆くだけか、困難を乗り越えることを楽しめるかで、次の展開が随分と違うものになります。
現実で困難にぶつかったとき、どうすればうまくいくか、選択肢を考え、検討し、そして試行錯誤する。このプロセスはとてもゲーム的だと言えるでしょう。現実をゲームのように見立て、降りかかる困難をクエストのように見立ててやれば、現実がゲームのように楽しめるというわけです。
困難はどうやったってやってくる。
ならば、楽しんだ者勝ちだと言えなくもないでしょう。
ところで、荘子という古典に「荘周、夢に胡蝶になる」という言葉があります。
そのまま蝶。荘周さんという人が昼寝をして、蝶になった夢を見た。ひらひらと空を飛んで、随分と楽しい思いをした。そして目が覚めた。荘周という人間だった。けれど、よくよく考えてみると、夢の蝶が本質なのか、今の荘周が本質なのか、誰もわからないではないか。……という話です。
目や耳やという感覚器官を通してきた情報を、脳が処理して認識されて、個人的な世界は定義されています。であれば、夢も現実も、主観的には変わりがない。世間的には現実が優位だとされているけれど、それは思い込みです。実はどちらが本質なのかを決定する決め手は存在しません。命をどう使うかはその個人に決定権があって、夢と現実、どちらを重視するかなんて、心の有り様次第なのです。
自分以外の客体はなかなか変えられないけれど、主観的な認識方法は心の有り様でいつでもどんな風にでも変えられる。
現実をゲームのように捉える認識方法が有用であれば、それは思いっきり使い倒せばいい。この認識は、どちらかと言えば享楽的で、にもかかわらずストレスフルな現代人に適しているように思えます。
「人生は楽しむべきものだ」と考えている人にはさらにぴったり。オススメできる良著でした。