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進次郎環境相は、園田首相爆誕への布石か

 

 

 

 

福島原発に保管されている処理水を、マスコミ記者たちの前で、園田政務官(当時)が飲むということがあった。処理水が安全というなら飲んだらどうかというフリーライターの煽りに応じたもの。2011年の事だ。

 

品の無い煽りと思うが、それを踏まえてきちんと対応した園田政務官は偉い。飲んだあとも「私が飲んだからといって安全性が証明できるわけではなく、意義はない。要望があったために飲んだ」と余裕のある大人のコメントを付け加えた。

 

 なお処理水に含まれるトリチウムは、三重水素と呼ばれる水素同位体。原子炉の中で生成されるが、微量ながら自然界に存在しているもの。世界各国の原発で発生するこの処理水は、経時による放射能減衰や希釈を経て、基準を設けてそれぞれ海洋に今も排出している。福島原発の処理水は基準以下だが風評被害により排出できていない。

 

 

一方の進次郎氏(2019)

 

 

次期総理として期待され、年少入閣した進次郎氏(2019年9月11日)。ポストは環境大臣。要職とは言い難いが、環境は喫緊の課題があるわけでもなく、官僚と連携してパフォーマンスだけうまくやれば、人気が取れ美味しいところを持っていけるポストだ。連日マスコミに追いかけられる進次郎氏の発信力を有効に使えば、大化けできただろうと筆者は考える。あるいは総理大臣候補に向けて、テストのような意味合いのある入閣なのだろう。

 

だが入閣してまだ1ヶ月も経っていないが、問題が頻発している

・育児休暇発言

・関係者に事前の相談なく福島訪問し、原田前環境大臣が道程を示した処理水海洋放出案をひっくりかえす発言

 ・国際会議でSexy発言。さらに海外マスコミに火力発電所の具体的な削減案を尋ねられるも何も回答できない

 

 マスコミでは持ち上げが続いているが、ネットでは、何か言っているようで実は何も言っていないポエムの人という評価が定着しつつある。環境大臣ごときで「位討ちの罠」(力量の伴わないポストに敢えてつけて評判を落とすこと)にはめられたと言われる始末だ。

 

スタンドプレイは構わないし、信念があるならそのとおりするのが政治家の本懐だとは思うが、大臣という具体的な責任を伴う立場になると、ただマスコミ受けする発言だけではなく、中身も伴わないと成立しない。進次郎氏はまず官僚達と答弁要綱の摺り合わせから始めるべきだろう。もう遅いのかもしれないが・・・。

 

 

処理水を飲んでいれば進次郎総理だった

 

小見出しそのままだが、進次郎氏が処理水を飲んでいれば、彼は次期総理だったろう。次が無理でも、2、3代あとに必ず総理になっていたはずだ。

進次郎氏の稀有な発信力により、処理水保管の問題が解決され、風評が払拭され、それに伴い政府の金銭負担も大きく圧縮できる。この功績はデカい。進次郎氏の不勉強と不見識を補っても、なお余りあるだろう。思い返せば、民主党の菅氏もかいわれ大根を食べて首相の道を掴んだのだ。同じ道はあり得ただろう。

 

だが、残念なことにその世界線は消えている。

 

科学を選択し、処理水を飲んだのは園田政務官だった。一方でプリンス進次郎氏は、前環境相が身を呈して引いたせっかくレールを放り投げ、情緒論を選択してしまった。

 

 

小池百合子氏に似ている進次郎

 

小池百合子都知事豊洲問題によく似た発言を、進次郎氏は繰り返しているのが不穏だ。

 

小池氏もマスコミに持ち上げられた政治家だった。しかし豊洲問題では小池氏が「安全よりも安心」などと言う情緒論を呈し、マスコミは称賛をもって迎えた。しかし、結果、数十億の血税が無駄に費やされただけだった。豊洲市場も従来の計画どおりに移転された。小池氏が騒がなければ、なんの問題もなかったことになる。続けての大仕事である東京オリンピックの開催準備すら円滑とは言い難く、彼女の仕事はコケまくっている。

 

情緒論はマスコミに受ける。わかりやすいからだ。しかしわかりやすい話が問題の解決につながるかというと、そうではない。だから通常、責任ある立場のひとは、情緒論を採用しない。むしろ世間の反感を買ってでも正しい道筋を示すのが政治家の役割だろう。

 

 

進次郎氏が総理になる世界線はほぼ消えつつある。万が一首相になったとしても、おそらく任期中は悪夢になるだろう。むしろひょっとしたら、現在は政界を退いている園田氏に、スポットライトが当たることがある・・・かも?