表現の自由 事例3選
今月は、表現の自由というものを改めて認識させてくれる事例が多くあった。並べて比較してみようと思う。
はじめに) 表現の自由とは
事例の前に、表現の自由とはなにか、簡単に確認しておこう。Wikiぐらいは眺めないとだめだよね。
表現の自由(ひょうげんのじゆう、英: freedom of speech)とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利。外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。但し、法が保障する自由は、無制約な決定の可能性を認めるものではない。公共の福祉を侵害したり、他者の自由を侵害する「表現の自由」は認められていない。(Wikiより)
ということで、以下、事例を示す。
事例1) 表現の自由が”無い”場合(中国人漫画家 逮捕)
「マンガ描いてたら逮捕される」。これこそが本当に不自由な世界で、「表現をボロクソに叩かれる」とか「ネットで大炎上する」なんてのは、表現の自由に満ち溢れた平和な社会だなぁと思う。https://t.co/V0JxKHoIGo
— 未識魚 /中川譲@C96 11日西M-34a (@mishiki) August 16, 2019
”精神日本人”を理由に、国家権力が物理的に表現者を逮捕する事例。思想が日本人っぽいだというとても曖昧で主観的なことで逮捕されるのだから、表現の自由のひとつ、思想の自由の存在が、まるきり無視されていると判断できる。
記事を見る限り、根拠となった漫画は緩やかな表現で、ぱっと見どこが悪いのかわからないし、政府批判だとしてもこれが許容されないの? という絵がアップされている。
なお今回の政府対応は、中国の法律に表現の自由の保護の概念がないので、中国国内法上問題がないことになる。西側諸国の常識としてはとんでもないことだが、外国が非難できることじゃない、ということだ。
事例2) 表現の自由が”ある”場合(東京での香港デモ・対する中国デモ)
これも間違いだらけです。
— cucucute (@cucucute00) August 17, 2019
・皇居前でデモはしていない。
(集合場所から目的地への移動中)
・香港側は静かに歩いているだけ
(喧嘩していない)
・大音量の迷惑な歌と声は、妨害しに来た中国政府支持者#香港デモ #誤散防止 https://t.co/JS8miBGpYo
民主化を求める香港人の一部と、それを止める(?)中国人の一部が、第三国である日本東京でデモ。そしてそれらのデモを守るために、きちんと出動している日本警察。
たとえ自国に関係ない内容だとしても、中香どちらかに肩入れすることもなく、デモを公的に許容する日本。これが表現の自由がしっかりとしている国の証左。
(ざっくりとした経緯など)
香港デモ問題。マスコミ報道では、一部の過激派がデモをしているように見せているが、これは偏向報道。2019年6月香港の自治の根幹を巡る法案に端を発したデモは、誇張ではなく100万人規模に達するも、未だ平和的な活動に留まっている。だが香港立法会はきっかけになった法案(逃亡犯条例改正案)を取り下げていない。中国政府は軍隊を香港近辺に駐屯させ威圧、さらに催涙弾などを使い準武力的な制圧を図ろうとしている。さらに中国側はデモ側にマフィアや活動家を潜りこませるという巧妙な手口で香港デモのイメージをさげ、情報合戦の様相を呈していたが、ついに米国トランプ大統領が14日「中国は人道的に対処すべきだ」とのコメント。米国を動かしたことで、香港デモに活路の光が見えてきた。
事例3) 表現の自由の内容を勘違いしている例(愛知トリエンナーレ)
Wikiにある通り、「公共の福祉を侵害したり、他者の自由を侵害する「表現の自由」は認められていない」のだが、政府関係者への罵倒であればどのようなものでも許されるとした誤った考えが、日本のマスコミに根付いている。
これまで情報提供者たる報道者みずからが偏向報道をして、大衆に一方的に情報を提供していたので、偏向具合がわからなかったのだが、SNSによって実態が見破られ、偏向を指摘されるようになったため、明らかになった事案。
あいちトリエンナーレ問題。
— 和田 政宗 (@wadamasamune) August 15, 2019
津田大介氏が文書で釈明。だが、昭和天皇の御真影を焼く展示や「殺すリスト」発言についての説明は、言い訳では?との意見が強い。
津田氏は「議論する場を定期的に設けていきたい」と。
早速記者会見や、意見を異にする方との議論を実行しては?https://t.co/6fwSgsfOVv
表現の自由は保障されるべきだが、表現の自由を盾にして、他人を侮辱する自由はない。侮辱する対象が権力者であってもそれは変わらない。
さらに言えば、表現の自由は表明する自由であって、批判されない自由ではない。批判も侮辱された本人たちからではなく、周辺のギャラリー、閲覧者からの批判だ。表現者であれば、ギャラリーが作品から見たらどう思い、どう反応するかを想定しておくべきだし、それを踏まえて表現し、さらに反論するべきだった・・・表現に覚悟と信念があれば。
まとめ
●表現の自由がない→漫画かいただけで逮捕
●表現の自由がある→外国人でもデモを許す、どちらかに肩入れもない。警察もデモに協力
●勘違い→表現の自由は無限ではなく、公共の福祉に制限される(誰かへの侮辱はNG。それでも表現するとしたら炎上覚悟の上で)
事例を見る限り、日本は法治国家としてしっかり機能しているなと思う。マスコミを中心とする報道側が、表現の自由を都合の良いように解釈して使いすぎているように見えるので、徐々にあるべき姿に直っていくことを期待している。