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終身雇用終了。トヨタ自動車社長の重いコメント。今後のわたしたちの働き方を考えてみた

トヨタ自動車豊田章男社長が、「終身雇用を守ることはもう難しい」旨の発言をしたことで、先週、ネットの界隈が賑わった。

「滅私奉公はもう通用しない。将来給料あがるから若いうちは我慢しろは通用しない」「終身雇用をなくしたら今まで通りの会社への忠誠心は期待できなくなるぞ」「クビにならない特権がなくなる」など・・・。

 

個人的には、終身雇用はグローバルで見れば非常に珍しい仕組みなので、いずれ無くなっていく方向だと考えていた。だから、ついに来るものが来た、という想いだ。

けれど、”あの”トヨタ自動車からの発言となると、時代の転換点を感じずにはいられない。

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toyokeizai.net

 

トヨタ自動車の売上=フィンランドGDP

 

そもそもトヨタ自動車がどういう規模の会社であるかご存知だろうか。説明するほど賛美しているみたいになるのでできるだけさらっと書くが、トヨタ自動車は、自動車の世界トップレベルのメーカーで、売上高30兆円、営業利益2.5兆円(2018年度)の会社である。

改めてみると、30兆円とはすさまじい数字だ。

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世界の名目GDP(2018)https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html
単位:10億USドル

 調べてみると、30兆円は、だいたいフィンランドGDPと同じくらい。

経団連の中西宏明会長(日立製作所)が「終身雇用なんて・・・」という発言をしたときは、まあ売上は9兆でそれでも大きいが、浮き沈みのある電機業界ということでさもありなんという感じだった。だが、実業界の優等生筆頭である自動車業界のトップの言葉は、さすがに重みが違う。「あのトヨタが・・・」とトヨタを基準にした会話が成立するのもよくわかる。

 

終身雇用制度 とジャパン・ミラク

 

さて、日本では当たり前に語られている終身雇用制度が、世界的にも歴史的にも珍しい制度だという事実はご存知だろうか。似た制度はあり、個別の企業で事実上採用しているところもあるが、現代日本のようにほぼすべての企業が終身雇用と年功序列を前提にするような社会事例はごく珍しい。

まず、終身雇用制度が生まれてからほんの半世紀ちょっとしか経っていない。出てきたのは戦後になってから。1950年〜1960年の高度成長を背景に、年功序列を前提とした終身雇用制度が根付いていった。

すぐには大金はもらえないけれど、真面目に働いていれば月給は保証され、少しずつ給料があがっていくという終身雇用と年功序列の制度。つらくても我慢していれば必ずいいことがあるという労働者のインセンティブが保てる。経営者にしてみても、質の高い労働を長期に確保できる優れた制度だ。

しかし、その制度が世界中に広がらなかったのはなぜなのか。

少し立ち止まって考えてみよう。全従業員の給料が徐々にあがっていくというが、そのお金はどこから出てくるのか。それはもちろん、企業の売上・収益からである。ということはつまり全企業の売上・収益の成長が、全従業員の給料に反映されていくことになる。したがって、日本のすべての企業が年功序列と終身雇用を採用するのなら、日本全体が成長し続けることが前提になる。従業員の一般的な雇用期間である約40年に渡って。そんなことが可能なのだろうか?

そんな夢のようなことを実現してみせた時代が、実際にあった。戦後の焼け野原から立ち直りつつある1954年から1971年の間、日本の実体経済を毎年10%以上成長させた高度成長は、ジャパンミラクルと呼ばれた。その後も成長率は落ちるものの、バブル崩壊の91年まで年平均4%のペースで成長し続けた。経済環境が、終身雇用と年功序列というハイコストな制度を可能にしたのだ。

余談だが、江戸時代の武士の俸給は例外的な出世など、よほどのことが無い限り変わらなかった。収入が変わらなければ、余裕をつくるためには支出を押さえるしかない。だから、江戸武士のあいだでは「倹約」が美徳になったのだ。給与が上がり続ける世界は、売上をあげつづけなければいけない世界で、個人消費が奨励される世界でもある。だからバブル時期には、「消費」が美徳とされていた。どんどん稼いで、どんどん使え、というわけである。同じような武勇伝を会社のおじいさんから聞いたことがないだろうか。そういう美徳話は、日本人特有のものでなく、ただ単純に時代背景によるものだということがよく分かる。

 

転換

 

諸賢もご存知の通り、バブル崩壊後の日本の経済は順調とは言えなかった。1989年に39000円に迫った株価(日経平均)は、2011年には7000円を割った。1993年から2011年までに日本は5回もマイナス成長を経験した。有効求人倍率は1993年から2005年まで 1 を下回り、氷河期世代が生まれた。2009年にはリーマンショックが発生し、2011年に大手電機メーカーの三洋電機パナソニックの子会社になり、重複部門は中国ハイアールに売却された。日本が右肩あがりに成長し続ける時代は終わりを告げた。

参考:

日経平均株価 超長期月足チャート|1949年5月算出開始から現在まで | Base Views

 

右肩あがりの時代が終われば、成立しない制度が出てくる。年金制度、終身雇用制度、年功序列制度。これらの制度は、必要な費用が累積して年々積み上げられていく制度なので、それ以上に毎年稼ぐ必要がある設計になっている。

だから景気が悪くなるだけで機能しなくなる。蜃気楼のように脆弱な制度だったのだ。バブルが崩壊した30年前、平成が始まったころに無くなってもおかしくなかった。

けれど長く使った巨大なシステムはそう簡単には崩れない。それだけ戦後日本が積み上げたアドバンテージの量が凄まじかったということだと思う。けれど、徐々に崩れ始めている兆候はみえていた。

2000年以降に発生した転職の増加、非正規雇用の増加などはその好例といえるだろう。終身雇用と年功序列は、言ってみれば企業の労働力の囲い込みだ。企業が囲い込み切れない労働力は非正規雇用になり、囲い込むことを失敗した労働力が転職市場に流れ、あるいはその欠損を転職市場からの流入で補うシステムが出来上がりつつあった。

転職者と言えば、昭和・平成初期には裏切り者のようなニュアンスがあったものだが、そのニュアンスも次第に薄れていき、転職も当たり前のものになった。

 

 

終身雇用終了。これからの私たちはどう働いたらいいのか?

 

「終身雇用終了。そんなこと言われても、どうすりゃいいのかわからない」

という声も多いと思う。とりあえず、まずは落ち着いてほしい。2019年5月現在の株価は20000円を越えていて、経済環境は相対的に悪いけれども致命的ではない。労働組合の制度も生きているし、急にリストラの嵐が吹き荒れるようなことはない。いますぐ急な動きはないということだ。

だが今後起こってくることで、一番妥当なシナリオは、雇用の流動化が強まる、ということだ。ひらたく言えば転職する人が、今後さらに増えるということだ。そして、転職の位置づけもさらに変わってくるだろう。

 

 

年収をあげる=転職する の世界

 

日本では、転職すれば年収が下がるのだということが言われてきた。だがそれは年功序列と終身雇用ががっちりとしたシステムとして機能していることを前提にしている。しかし、一般的には、給与というのは需要と供給で決まる。従業員が持っている能力が、多くの企業から望まれれば、給与が高くなる。逆ならさがる。給与も市場原理にさらされている以上、当たり前のことだ。

日本以外のグローバルでは、転職を機会に年収をあげる人が多い。前職でスキルを鍛え、向上したスキルを次の会社で高く売る。そういうルーチンが成立しているのだ。

自分が海外(アジア地域)で働いた経験だが、現地の人たちは、転職するときに年収をあげる交渉をする。ベース給与にもよるが、転職で現状の1.5倍ぐらいの給与を要求するスタッフならざらにいた。そして経験則から言えば、前職と同じ給与を望む人材よりも、前職よりも高い給与を要求するスタッフのほうがハイパフォーマーだった。

 

終身雇用と年功序列の無い国の人たちの動き

 

海外で働いていたころを思い出すと、現地のスタッフは次のような感じで働いていた気がする。

 

1)転職とそれを前提にした仕事のやり方

前出の通り、スキルアップと次の転職が前提になる。だからあまり特定の社内でしか通用しない仕事は現地スタッフ好まれないし、離職率も高くなる。長くこの職場にいようと思う人材はレアなので、会社によってルールが違って複雑で、人材育成が遅い日本現地法人では重宝される。

一般的に、日本企業の仕事の仕組みは複雑で、人の入れ替わりを前提にしていない。それどころか一部の業務は属人化して、その人にしかわからないブラックボックス化しており、効率化もできない状況になっているところも多いと思う。今後は人の入れ替わりを前提とした仕事の構成が言われるようになる。RPA化・AI化の過程で仕事のやり方が作り直されると思うので、どこでも使える汎用的な仕事のやり方を学ぶことが大切になるだろう。

 

2)副業

自分の車を使って、仲間の送り迎えをする、ぐらいのことは普通にあった。

でも一番わかりやすいのはやはり中国人だと思う。ここでは中国人の爆買いを例にあげる。中国人の爆買いは、あれは日本で大量に購入した商品を、中国で売りさばいていたのだ。みんながみんな個人輸入商をやっていた、ということになる。中国現地法人のスタッフが日本に出張してきたときに教えてくれた。ちなみに個人輸入商の副業をやろうとしているひととそうでないひとは、購入する量の桁が違うのでよくわかる。ただ中国でも旅行と個人輸入を一緒にすることは、あまり上品なことだとみなされていないようで、良い企業に勤めている中国人はやっていなかった。ここ2年くらいは、経済が充分に成長して、個人の所得にも還元されて、日本製の品薄感もなくなって(日本製の人気がなくなった気がする)、爆買いも収まった。きっと別な副業を見つけているのだと思う。商売にうとい日本人は、中国人の爆買いを奇異の目でみていたけれど、内実はそんなところだったりする。

海外で爆買を薦めたいわけでない。個人の副業は、海外では割と当たり前に行われているということが言いたかった。なにかしらの副業で収入を複線化するのは、どんな状況でも自分を有利にする。終身雇用の制度がなくなっても有効な手段だ。

 

3)仲間づくり・親族とのつながり

会社が一生面倒見てくれるわけではない、ということであれば、一生付き合うコミュニティを探すのは当然だ。だから、現地のスタッフは、気の合う仲間づくりや親族とのつながりを、仕事よりも大切にしていたと思う。

日本との価値観の違いというよりは、雇用システムの違いによる利害関係の違いによるものだと思う。日本も、仕事よりも家族、友人、親族を優先する流れがより強くなるのだと思う。いまはライフスタイルの変更という視点で受け止められているが、この流れは加速し、当たり前のことになる。家族は一生モノだが、仕事は一定期間の付き合いしかないのだから、自然な価値判断だと言えるだろう。

 

 

おわりに

 

終身雇用と年功序列が本格的に消えていくことで、不安に思うところもあるが、見回して見れば、終身雇用と年功序列という制度自体が、歴史的にも世界的にもレアだ。ということは、そのレアな制度をもとに人生設計をしていた日本人も、とてもレアな存在だったということになる。

つまり、世の中には、終身雇用と年功序列とは関係ない世界観で生き、しかしそれでも立派に成功している人は、日本の外に目を向ければたくさんいる。お手本はたくさん転がっているのだから、不安に思うことは無い。レアな現状にしがみつき、素晴らしかったあの頃をもう一度呼び戻そうとするのは、沈みつつあるタイタニック号にしがみつくようなもので、逆にリスクが高い。

変化には前向きに飛び込んでいくほうが最終的には有利になるだろう。