この世はしょせん夢芝居

ネット的世界の端っこで考えたことを書き留めているだけのブログ。

コンテンツというのは、欠落と過剰からしか生まれない

 

「コンテンツというのは、欠落と過剰からしか生まれない」

 

これは幻冬舎編集者の箕輪氏の言葉だ。名言だったのでTwitterから引用した。

 

文章を書くようになって、コンテンツとは一体なんだろうと考えることが多くなった。

コンテンツとは情報の中身という意味だ。といってもわからないので、もう少し自分の理解を付け加えると、見たり聞いたりして面白いもの、リピーターを集めるものが”良質な”コンテンツだと言われる。

 

さらに踏み込んでいえば、「視聴者の好意をたくさん得るもの」が良いコンテンツであり、悪いコンテンツはその逆だ。だからあえて無機質かつ大雑把に言えば、コンテンツとは”価値のある情報”なのだろう。

 

じゃあ具体的にはどういうものを作れば好まれて、良いコンテンツと言われるようになるのか? という疑問が創作者にはつきまとう。さらに厄介なことに、答えを出している偉大なクリエイターたちは皆、それぞれに違う答えをのたまいたまうので、コンテンツづくりに悩む創作者たちは、余計に混乱するのだ。

 

 

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冒頭の名言「コンテンツというのは、欠落と過剰からしか生まれない」はこの疑問を解くヒントになりうる。

 

 

欠落は足りないものへの執着を生み、過剰は興味の対象への偏愛を産む。

 

執着も偏愛も「好きなこと」の在り方のひとつである。だからコンテンツとは「創作者の好きなこと」だと言える。

 

さらに言えば、「創作者の好きなこと」とは、言い換えれば、その創作者のコアを説明する言葉であり、だから「個性」という言葉にまとめられる。

 

『A=B、B=C、このときA=Cと言える』みたいなノリで、「コンテンツは創作者の個性」だと定義しておこう。

 

 

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でもきっと良質なコンテンツを作るためには、個性というキーワードだけでは足りない。人間世界の文化に上下が無いように、個性にも上下があるとは思わない。しかし、個性の濃い薄いはある。心の内側を掘り下げて、核となるような濃厚な自分を見つけることができれば、きっと良いコンテンツが出来上がることだろう。