この世はしょせん夢芝居

ネット的世界の端っこで考えたことを書き留めているだけのブログ。

エイプリルフールが終わって、ほっとしています

エイプリルフールが終わりましたね。

 

実は終わってほっとしています。というのも、エイプリルフールって、ちょっと緊張しませんか?

 

「面白いウソをつけ」というプレッシャーと、「何を言ってもウソだと勘ぐられてしまうんじゃないか」という疑心が、『どこからともなく』湧いてきて、ついついブログを書くことすら躊躇してしまいます。

ウソをつかなかったからって、どこかに闇の秘密結社がいるわけでもなし、別に誰かから批判されたりするわけじゃないんですけども。。。。

 

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『どこからともなく』湧いてくるプレッシャー

 

得体の知れないプレッシャーが『どこからともなく』湧いてきているというのが、問題を複雑にしていると、わたしは思うんですよね。

実際には、面白いウソを言えなどというプレッシャーはどこにもなくて、すべてわたしの勝手な妄想なのかも知れません。あるいは、ブログやツイッターのTLの雰囲気から勝手に忖度をしているだけなのかも知れません。

でもですね。出どころがわからないというのは、対処がやっかいなんですよ。

出どころがわからないということは、その気持ちの正体がわからないってことです。正体がわからないと、対処しようがないんです。だから根本的に解決ができない。だから厄介なんです。姿形のある外来生物は某アイドルグループが片付けてくれますが、出どころがわからないものはさすがの彼らも手がつけようがありませんからね。

 

何の本だったか忘れてしまったのですが、「貴方が”怖い”と感じたとする。その怖いと感じた対象がはっきりとわかれば、それは明確な『恐怖』になり、対象がはっきりしなければ、『不安』という感情になる」・・・という話があります。

エイプリルフールで感じるのは、ウソを言わなければいけないという「全体の雰囲気」。それはいわゆる「そういう空気」というやつなのでしょう。誰からも強制されているわけじゃない、でもなんとなくやらなければいけないような気がする・・・。きっと鋭敏な人ほど、そういうのを感じるんだと思います。

 

 

やりたいひとがやればいい。当たり前だけど。

 

だからといって、エイプリルフールを止めようなんて言うつもりはありません。

楽しいウソをついてくれる人がいれば盛り上がるし、この日をひとつのイベントとして楽しんでいる人がいるのは良いことです。

でも嫌だなと思うのであれば、参加しなくて良いと考えてます。実際にスルーで問題ありません。誰も強制していないわけですから。

気になる人は”エイプリルフールだけどウソじゃありません”とでも注意書きを入れればいいだけの話ですね。実際にそうされている方もちらほらお見かけしましたし。

あ、でも、どんなウソでも良いというわけではないと思います。ダメなウソはいろいろありますけど、ダマす相手への愛がないウソはダメですね。きっとエイプリルフールに限ったことじゃないと思いますけれど。

要するに、エイプリルフールにも愛が必要だっていう話でした。

 

 

 

 

 

そんな感じです。

現場からは以上でした。