この世はしょせん夢芝居

考えたことをエッセイに書いてます。本の紹介もしています。目指しているのは「ゆるふわなチラ裏」。

しばき隊のツイッター社へのデモによる表現の自由についての思考

 私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。

                   ーーヴォルテール

 

東京八重洲で、しばき隊を名乗る団体がツイッター社日本法人に向けてデモを行ったそうですね。ヘイトスピートと言われるツイートを印刷し、それを踏ませるというものです。

 

まず、公権力と関わりのない私企業に対してデモは成立しないはずなので、単純な威嚇行為ということになるのでしょうか。

 

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表現の自由は、民主主義という政治システムの中で自浄作用としての役割を期待されています。もちろんヘイトスピーチそれ自体は非難されるべきことなのですが、自浄作用が任せられている表現の自由の規制は、とても繊細に、慎重に行わなければなりません。

 

表現の自由を制限するときに、一番気をつけなければいけないことは、「思考停止」を誘発することだと考えます。

 

「ヘイトだから」「サヨクだから」「ファシズムだから」「ヒトラーと発言したから」とレッテル貼りすれば、それに関わる発言ができなくなる。言葉の真の意味や背景を考えることができなくなる。それが一番怖いことです。「それが全体のためになる」「みんなが我慢しているのだから、お前もみんなのために我慢しろ」・・・みんな、全体という言葉でよってたかって「思考を封じ」たのが、太平洋戦争だったのではないでしょうか。

 

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表現の自由」には、実は前提があると考えます。それは、「相手への敬意」です。「あなたはこう言ったが、僕はこう考える」という言葉に続き、(それに対してどう考えますか?)という無言の問いかけがあってーーつまり、議論してより良い結論を導こうという意思が底流にあって、初めて「表現の自由」は本当のものになると考えるのです。

 

相手の反抗を前提として、自分の意見も表明する「表現の自由」は、行使する人に色々なものを求めます。相手への敬意。自身の寛容。品位。高潔。相手が持つ自由との衝突。民主主義政体の構造理解。

 

 

いろいろ難しくて、自分もできているか自信がありません。というか、できていないと思います。けれど、自分が振りかざしているものが何か、わかろうとはしたいものですね。

 

 

 

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なんか言いたい放題してしまったかも。