この世はしょせん夢芝居

考えたことをエッセイに書いてます。本の紹介もしています。目指しているのは「ゆるふわなチラ裏」。

社会のバージョンアップで法整備が大変そうだから、推進させるアイデアを考えてみた

車の自動運転、仮想通貨、遺伝子治療など、新技術の登場で社会がまたバージョンアップしようとしています。VALUなんてもうまった無しの段階ですね。

 

そんな中、運用するための法律の制定の進みが遅いことが問題になっています。むべなるかな。現在の社会の仕組みだと当然のことだと思います。

 

規定の法規制の網にひっかからないような新しいサービス、商品、存在が出てきたときに、なぜ法律の制定が遅れるのか。日本の法制度というものが本質的にコンサバであるというのもその理由のひとつですが、わたしが思うに、法律を制定する前段取として、新しく登場したサービスや財のその本質を考え、分析、論じ尽くす作業をする人がいないからではないでしょうか。

 

いや、厳密にはいます。おそらく官僚や議員、まあ官僚がメインでやっていると思います。しかし、いくら優秀な官僚と言っても、新しいモノの本質をつかむには深く考える時間と議論が必要です。多忙な実務担当者にすべて任せるのはちょっと無理があるような気がします。

 


1) 相反する利益を守るのがルール。新しいモノへのルール設定は難度が高い

 

法律は、何かを守るためのルールです。

 

守るべきものがひとつだけならルールの設定は簡単ですが、ルールを決めなければいけないような事案は、だいたいいくつかの利益が相反関係にあるので、天秤がどちらかに傾き過ぎないようにするのがルール、法律の役割です。気ぜわしいですね。

 

相反する利益をバランスよく守ることのできるルールを設定するためには、その対象を、変な言い方かもしれませんが、抽象的に深く理解しておかなければいけません。

 

既存のものならこれまでの歴史で論じつくされていますが、新しいモノは、まだ本質が何か、未来はどうなるのか、どうするべきか、がわかりません。そういうことがわかってこないと、どの程度、どういう風にルールを設定すればいいのかわからないんですね。難度が高いミッションだと思います。

 

 


2)官僚さん涙目?

 

それで話を戻すと、本来こういう本質的な議論をするのは学者さんの役割になるとわたしは考えています。けれど、ご存知のように、現在の人文系の学者たちはその部門が専門化・細分化されており、新しいモノについてはだいたい専門外、まったくお手上げ、といった感じです。

 

20世紀末から21世紀初頭にこれだけ社会を変えた「インターネット」についても、日本の文系学者がその価値を論じている本はめったに見ません(私見です)。本屋やAmazonで見かけるのは、一番は外国の学者の翻訳本、次に日本の「有識者?」の解説本、そして新しく台頭しているブロガー等による解説本です。

 

法律を作るために新しいサービスの勉強をしようとしても、権威ある専門家がいないわけです。官僚さんもきっと涙目ですよね。次の行動として、大学の有識者のところにいろいろと質問しに行くのでしょうが、聞かれた有識者も普段研究していなかったら、回答する方もつらいのでしょうね。理系の専門家の意見を聞くとしても、彼らは技術の専門家であって、そのサービスを使って人間社会で起こりうるケーススタディの専門家ではないでしょうから、下調べからして難度が高そうです。

 

 

 


3)新しいモノの受け皿になる学問とアンサー案

 

新しい技術が出るその度に、新分野を創設してもいいとは思うのですが、新分野の改廃はけっこう非経済ですよね。

 

新しい技術が社会で実用化されるとき、その本質を考え社会に起こる影響の分析を一手に引き受けて考えてくれる、そんな受け皿となる学問があるのが一番です。そんな便利な学問はない……と言いつつも、世界の成り立ちと人の生き方についてひたすら考えるという学問をひとつ思いつきました。

 

それは 哲学です。

 

古代ギリシアを源流とする哲学は、世界の成り立ちも考える学問でした。この哲学者は万物は火であると言ったとか、別の人は水だとか、ある人は流転する、と主張したとか、高校の授業で覚えさせられたと思います。人間世界の周囲にある世界をどう認識するかというのは、どう生きるかにも関わってきます。

 

現代日本だと「人間がいかに生きるか」というテーマにやけに偏っていてショーペンハウエルとかデカルトとかなんとなく鬱っぽくて難解な本を分析している、という印象ですが、米国だと先進的ビジネスの基礎教養のように認識されているプログラムと並んで、哲学は人気学部らしいです。物事の本質を突き詰める姿勢が受けるんだとか。

 

そういうわけで、哲学が新境地を切り開いていくのはどうでしょうかね。

 

 

人文系の学問を学んでも仕事が無いと言われますけれど、どちらかというと「仕事があるのにしていない」という印象が強いんですよね。

 

たとえば、こんな問題があるとします。

 

遺伝子治療で倫理的に許される範囲はどこまでか、過去の類例・治療例を元に選択肢を示せ」とか。
「自動運転による交通事故の加害者に与える法的保護はどの程度必要か。判例および20世紀のモータリゼーションの進展と合わせて考えを示せ」とか。
「信用経済による資金調達方法では、どのような被害が想定されて、どのような規制方法を取るのが適当か。3案示せ」とか。

 

法律を作るにあたっては、このくらい問答を、しかもこの何倍と考えているでしょうからね〜(予想)。でもこのくらいのことでも解答を作るのに専門書を2〜3冊読んでおきたいですよね。わたしの場合は読んでも解答書けるかどうかわかりませんけど。。。

 

課題を考えるだけでなく、基調を説明した専門書を書いて供給してくれる人文系学者の層がどれだけ分厚いかがポイントでしょう。物事の本質を専門に考える哲学を基軸に、人文系学者が集まるとなんだか良さげじゃないでしょうか。

 

法律草案を作成する最後は、頭の良い官僚に丸投げするしかないんですけど、今は丸投げする土壌を急いで整えてやらないといけない気がしています。畑づくりと一緒ですね。こんな風に社会が動くと、きっと楽しそうですね。

 

 

 

 


本日は当ブログにお越しいただきありがとうございました。
なんだかやたら長くなりました。長文お読みいただき感謝です。