この世は所詮 夢芝居

日々学んだこと・考えたことを、エッセイとしてまとめています。目指しているのは「ゆるふわなチラ裏」。考え&書き続けたい。

無限の情報と「アテンション」の価値

いつものことながら、突然ですが。

 

市場というモノは、交換するための場所です。交換するものとされるもの、ふたつがそろって市場は機能します。

 

たとえばある村人は野菜を差し出し、肉が欲しいとする。一方で猟師は肉を差し出し、野菜が欲しいとする。

 

もし供給される野菜が肉よりも多ければ、野菜は肉よりも安くなります。逆に、野菜よりも肉が多ければ、肉の価値が相対的に下落します。このように、市場は天秤のように、多く供給されるものの価値を下げ、逆に希少性のあるものの価値をあげる。そういう機能があります。

 

この市場の考え方はいろいろなことに応用ができます。現代の市場経済に生きる私たちは常に何かを交換しています。

 

 


1) 情報の価値が下落

 

現代ではいろいろなものが大量供給されています。食べ物は当然、便利な電化製品や移動手段も充実して安価に手に入れることができるようになりました。50年前、100年前というスパンで考えれば生活水準は比較が難しいほど差があります。

 

インターネットの登場により、誰もがデジタルコンテンツを発信できるようになり、情報も大量に供給されることになりました。世界の誰かのつぶやきが一瞬で世界中に広がり、誰かがアップロードした意見がその国の国民に伝わります。個人サイトでも月に数十万PVを得ることができ、賢い誰かがそこに広告価値をつけることで、商業的な価値も付加されることになりました。これからも提供される情報はさらに増え、一方で情報の価値は下落し続けるでしょう。

 

そんな情報過剰社会で、価値があがり続ける一方のものがあります。

 

皆さんはそれが何だか想像できるでしょうか。

 

それは、「アテンション」と呼ばれるものです。

 

 

 


2) アテンション

 

 

「アテンション」という言葉をわたしが初めて確認したのは「〈インターネット〉の次に来るもの」という本が最初です。

概念は簡単です。どういうものかといいますと。

 

例えば、あなたは毎日たくさんのサイトを閲覧します。サイトはたくさんありますが、そのすべての情報を精読しているわけではないはずです。おそらく多くのサイトを斜め読みして、面白そうな情報があったときだけ、意識を向け、ゆっくり読んで内容を把握しているのではないでしょうか。

 

この「意識を向け、ゆっくり読んで内容を把握する」ことを、わたしの理解での説明で恐縮ですがーー、「アテンション」と呼んでいます。

 

 


3)「無限の情報から選ばれること」

 

アテンションとは、「無限の情報から選ばれること」とも言い換えることができます。無限にあるということは、それが無価値であることとほぼ同義です。情報は、今の社会では無価値なのです。アテンションにより、情報は初めて有価値となります。


これからの社会は、アテンションを得ることができる人がさらなる価値を持つことになるでしょう。なんといっても、そのままでは無価値な情報を有価値に変えることのできる人なのですから。インフルエンサーという耳慣れない存在が発現してきたことも、その事象を裏付けているといえるでしょう。

 

アテンションを得ることができる能力が、これからの未来を生き抜く上でさらに重要さを増します。このアテンションを得るちからをすでに持っている人はより有利に、持っていない人はアテンションを得る能力を身につけるために努力することになります。

 

自分はもちろん後者です。才能は無いので地道にやっていく派です。

 

 

 

 


本日は当ブログにお越しいただきありがとうございました。
日頃起こっている現象をまとめてみました。時代は変わりますね。