この世は所詮 夢芝居

読んだ小説。ビジネス本。エッセイ。海外旅行。食べ物とか日常とか。そんな感じ。ゆるふわなチラ裏。

文学のポテンシャル

1.ツイッターで話題になった文学の意義

 

文学の意義とはなんでしょうか。

 

文学部で学ぶ意義とは、翻って言えば文学の意義ですが、それについて語ったつぶやきが先日ツイッターで流れてちょっとした話題になっていました。

 

理系学部の意義、法経済学部の意義はビジネスに直結、つまりは世の中の仕事に直結しているために語りやすいですが、文学部の意義というのは確かによくわかりません。世の中では直截に「どうせモラトリアムだろ?」と言ってしまうひともいます。

 

そのある学長が語ったツイッターでは、乱暴に要約してしまえば、「文学は人生で重大な決断をするときに役に立つ」と仰られています。

 

文学、特に古典は、時間の審判を経て残っているものです。こうしたものは脈々と受け継がれているだけあって、古人の叡智、人間の普遍が込められています。これらを学ぶことは、たしかに人生を生きていく上で役に立つでしょう。それが経済的成功に直結しないだけです。人生はお金の多寡だけで示せるものではないのです。

 

 

 

2.ものたりない

 

しかし、この回答が正だと思いつつも、物足りないなあ、とわたしが感じたのは事実です。

 

「だったらわざわざ大学で学ばなくても、自分で本を読めばいいじゃないか」というツッコミも妥当と思えます。まあ、本というのは一人で学べるよう設計されたメディアですから、まったくその通りなんですよね。

 

だから、文学という学問は、新たな展望を開かなければならないのではないでしょうか。

 

 

 

 

3.役に立つものは本来的にお金になるはず

 

そういうわけで提言を3つくらい思いついたのですが、あんまり書くとウザいのでひとつだけ。

 

 

つっこませてもらうと、人生の役にたつというなら、マネタイズできていないのはおかしくないですか? 確かに人生に役立つ場面があるのだから、文学をマネタイズできるビジネスモデルがあると思うんですよ。それを探すべきなのではないでしょうか。

 

(文学作品そのものを売る、というのはあまりにも使い古されたモデルなので、ここでは議論せずに置いておきましょう)

 

思うに、文学作品そのものだと文体も古いし、難解だし、スマホ情報が飛び交う今の時代だと、内容が濃すぎると思うんですよ。だから文学作品の内容を薄めて、作品のコアとなる普遍を分解して取り出してくれる「希釈者」がまず必要ではないかと。そのうえで、現代でも受けるコンテンツに料理し直して市場に出す。企業がそれをやるなら、「希釈・分解」と「現代的なコンテンツに再料理」する過程で文学の専門家が必要になるはずですよ。

 

たとえば、日本の恋愛小説の端緒である源氏物語は、言い換えれば女性の恋愛ポジショニングの参考書としても読めるはずなんですよ。例に引きやすいところであげると、花散里という女性は、美人ぞろいのチーム光源氏のなかにあって美人ではなかった。しかし癒し系と言える性格で光源氏の心を最後まで捉え続けていた。この花散里みたいになりたいという人というのが一定数いるとしたら、その指南役やセミナー、サロンのような事ができるかも知れません。商業ブログとも親和性があるかも知れませんね。

 

繰り返しになりますが、役に立つものは本来的にお金になるはずなのです。それができないのは、あえて言い切りますが、やり方を編み出せていないだけなのです。現代のコンテンツ時代には、文学は親和性が高いはず。

 

 

 

 

 

4.高いポテンシャルを活かせないのはもったいない

 

 

人間がコミュニティを起こす場合。石器を振り回すような人たちが、まず身振り手振りから始まり、農業の習得と同時期に共同体のなかで通じる言葉を発生させ、そして文字が発生することで、時代や空間を超えた複雑なコミュニケーションを可能にします。

 

そしてカタコトのコミュニケーションがだんだん語彙と表現が増えて長文になり、だんだんと詳細なニュアンスや事実の表現を可能にしてくれます。そしてそれが一定レベルになると、文学が発生してきます。

 

各国の文学を見れば、民族の思考特性と文化のレベルを示してくれると言えます。逆に言えば、代表的な文学を持たない国は、独自の文化の変わりに周辺国の強い影響を受けていると推定できるということです。もし日本に源氏物語が生まれなければ、日本の言語文化のレベルはその程度で、日本は独自性の無い、どこかの属国として存在していたかも知れませんね。

 

文学は、独自文化の形成の過程でとても重要な役割を担っています。その文脈でいうと、文学のポテンシャルはとても高い。一般的に、ポテンシャルを活かし切れないのは、使う側の人間に課題があります。課題の置き場を間違えると、導かれる答えはどうしても的がずれてきますよね。

 

 

 

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。

時代に適応するというと大げさだけど、雨が降ったら傘をさしますよね。そんなものだと思います。