この世は所詮 夢芝居

日々学んだこと・考えたことを、エッセイとしてまとめています。目指しているのは「ゆるふわなチラ裏」。考え&書き続けたい。

学ぶちから = 試すちから

学ぶっていうと、どうしてもこんな風に思ってしまうんですよね。

 

「学校に行って、机に座って、ペンを動かしてノートを取る」

 

でも、社会に出ると、学ぶってこういうことじゃないってことがわかってくるんですよね。同じ情報を得ても、使いどころでライバルと差が出る。あるいは、使うべきときに学んだスキルを発揮できなかったりとか、ありますよね。知っているはずなのに、うまくできない。あるいはいいタイミングでスキルを発動できない。似たような経験、お持ちじゃないでしょうか? わたしにはたくさんあります。

 

学ぶことの最終到達点は、学んだことを「血肉にする」ことにあると思っています。知っているだけじゃだめ。できるだけじゃだめ。少なくとも、学んだことを使いこなせるレベルに達していないと、役に立たない。

 

じゃあどうやったら学んだことを使いこなせるようになるのか。

 

 

 

 

簡単ですね。練習すればいいんです。

 

学んだら、それを早速試してみたらいいんです。試してみて、ダメだったら原因を考えて仮説を立て、修正して、また試してみる。それを繰り返しているうちに、だんだんと学んだことが自分の身に身についてくる。

 

前川さんの「人生の勝算」によると、小学生の頃から、前田さんは仮説を立てて、それを試していたそうです。そして、悪いところがあれば仮説を修正し、また試す。最終的には路上パフォーマンスで月に何万円ものお金を稼ぐようになったということです。(小学生が路上パフォーマンスで大金を手にする驚きのその経緯はぜひ「人生の勝算」を読んで確認してみてください。すげーってなります)

 

 そのうち、情報の断片から、仮説を立て、試し、修正してまた試す、というサイクルができるようになります。そこまで行けたらもう一人立ちですね。学ぶちからはもう充分です。あとは慣れてしまったそのサイクルを繰り返すだけで、学びが蓄積されていきます。しかも複利で。

 

しかも今の時代、そういう人たちがワールドワイドウェブ上にたくさんいらっしゃるんですよね。お手本がいっぱいです。特に一流のブロガーさんたちは、学んだことを惜しげもなく公表してくれるので、グーグル先生と合わせて大変助かっています。

 

学ぶってことは座学じゃないんですよね。試してみて、初めて本当の学びにたどり着ける。

 

学ぶちからが高いってことは、試すちからが高いっていうことなんだなと思います。

 

 

 

本日も当ブログにお越しいただきありがとうございました。

「先に生きる」、というか「先に生きることを試した」から「先生」というんでしょうね。