読み耽り書き散らすのが理想の生活

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夢は見たりて? (銀河英雄伝説)

「夢は見たりて?

 子供には夢を見る

 時間がとても多く必要なの」

 

「全然足りないよ」

 

 

 

突然ですが、今日購入して読んだ銀河英雄伝説(原作:田中芳樹 漫画:藤崎竜)の1巻から抜粋。

 

零落貴族の美しい姉アンネローゼが、まだ幼い弟ラインハルトを起こすシーン。フジリューこと藤崎竜さんが描くお姉さんが本当にキレイ。藤崎さんはサイコプラスのころから好きな漫画家さんで思い入れもあるのですが今は割愛。

 

ちなみに、「夢は見たりて?」は堅い表現なので、文脈がないとわからないかも知れないので補足します。これは漢字化すると「夢は見足りて?」。つまり「(よく眠って)充分に夢を見ましたか?」ということですね。

 

話を戻すと、このあと美しい姉アンネローゼはすぐに皇帝より召されて、姉弟は離ればなれになります。弟ラインハルトは皇帝からの姉の奪還を誓いますが、力が足りないことをよく自覚しているため、まず貴族幼年学校に入学し、雌伏の時を過ごします。それは10歳の少年が大人になるための「夢」のような期間だったのかも知れません。「夢は見たりて? ーー全然足りないよ」というやり取りは、貴族幼年学校時代が訪れることのメタファー、隠喩なのかも知れません。 

 

  

ところで、僕が大人になってつくづく思うには、「人は自分でできないと思っていることは、決してできない」ということです。

 

いくら他人ができないと言っても、自分でできると信じ、努力した人は偉業を達成します。しかしそれは普通はできないから偉業なのであって、普通の人間は成長とともに自分の限界に見切りをつけ、やがて偉業に挑戦することを止めていくのです。

 

どこに普通の人と、偉業を達成する人とに差が出てくるのか? 要因はいろいろあると思いますが、僕は、「そのことをどれだけ強く願ったか、欲したか」ということは、重要な要因のひとつだと考えています。 

 

偉業を望むことは、子供のころならば「夢」と言われますが、大人になれば「妄想」「身の程知らず」に変わります。それがどのようなものであれ、世間で偉業と呼ばれるものは達成するのが難しいのが常ですから、求めていく過程で失敗するのが当たり前です。そこを乗り越えていくことが大切だと思うのですが、しかし痛い目にあったとき、あるいは周囲の反対にあったときに、普通の人は「夢」から覚めてしまうのです。でも夢から覚めない人は、きっと「子供」のころに「夢を見る時間がとても多く」あったのでしょう。だからちょっとやそっとの障害では「夢」から覚めることがない。

 

夢には眠って見るものの他に、起きて見る夢があります。起きている間にたくさん夢を見た子供が、大人になってその夢を叶えているのかも知れません。起きている間に見る夢は、心の強さを育てる。だから「子供には夢を見る時間がとても多く必要」なのではないでしょうか。

 

 

 銀河英雄伝説 1 (ヤングジャンプコミックス)