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この世は所詮 夢芝居

食べ物。日常。本。エッセイ。海外旅行。そんな感じ。ゆるふわなチラ裏を目指したい。

失敗や不幸にくよくよして不機嫌でいて、何かいいことがある?

上機嫌をスキル化するべきだと主張する本を読んでいる。 

 
失敗や不幸にくよくよして不機嫌でいて、何かいいことがあるだろうか? 
 
不幸そうにしていると誰かが助けてくらそうなものだが、残念ながら現実では逆だ。むしろ明るいひと、幸せそうなひとのところに救いの手は差し伸べられる。 
 
どうしてかは自分を逆の立場に置き換えてみればわかる。いつも不機嫌で暗いひとよりも、いつも元気で明るいひとを助けたくなるだろう。 いつも上機嫌で、明るいひとのところには自然とひとが集まる。これは時代や国柄を問わず共通していることだと思う。
 
 でも、いつも上機嫌でなんていられない、生きていればいくらでも嫌なことがある。今日だって家族と喧嘩した。仕事でそりの合わないひとと話した。普通のひとの生活はそんなものだと思う。 
 
でも、自分が受けた不機嫌や不幸をそのまま周囲に撒き散らしたら、どうなるだろう。俯瞰的にみたら、不幸、あるいは不機嫌な気のようなものが拡散し、あなたの周りのひとが少しずつ不幸になる。周囲の不幸はまたあなたにフィードバックされ、あなたはさらに不幸に、不機嫌になる。 
 
あなたはあなたで、不機嫌にくよくよして自分の内面にある不幸な思考を上乗せして加速させ、また自分のなかの不幸を強固にしていく。不幸ばかり感じることになる。 
 
この忌まわしい流れを、どこかで断ち切らなければならない。あなたはそう考えるだろう。 
 
 そこで、上機嫌のスキル化である。
 
 不機嫌や不幸をあなたのところであえてふっきり、忘れ、あるいはおしつぶして、あえて、上機嫌に振る舞ってみる。最初はぎこちないだろう。だがいずれうまくなる。上機嫌はスキルなのだから。さらに極めれば、そのスキルは体に溶け込み、生来の上機嫌と見分けがつかないくらいになるのかも知れない。
 
 思考は現実化するともいう。ならば、幸せそうな行動が幸せな人生を呼び込んでもまったく不思議じゃない。 
 
ひとつ言えるのは、くよくよするくらいなら、何かべつのことをやっていたほうがなんぼか生産的だ。俳優にでもなったつもりで、上機嫌に振る舞ってみてもいいんじゃないだろうか?
 
 
あのユリウス=カエサルも常に上機嫌だったらしいですよ。

 
 今日も当ブログに来てくれてありがとうです。