ある本好きの秋
この1週間はものすごく本好きなヒロインの小説を共感しながら読んでいたのだが、さらに今日、立花隆さんの著作を読んでいると、「本が読みたいがためにせっかく入った文藝春秋を2年半で辞めて本読み生活に入った」ということが書いてあって、この2作を同時期に読んだことはただの偶然なのだけれども、本好きとして実に深く感じ入ってしまった。
「良い学校に行って、良い会社に勤めて、それで一生を終える」のが当たり前というか推奨コースになっている現代日本。その中で好きな事に人生を捧げる、という選択肢は稀有だ。稀有などと表現するとポジティヴなイメージがつくが、実際は普通のコースから外れた者は異端とされ、さらには『世間』というこれまた日本独特の村社会システムから社会的な制裁をいただいてしまう。
なんとも生きにくい世の中である。
わたしは人間は他人の権利を侵さない限り自由に生きる権利があると考えており、その中には愚行権も含まれていると考えている。ひらたく言えば、”他人の邪魔をしなければ、その本人が何をやったっていいじゃないか。たとえ本人に悪いことがあるとしても、好きでやっているんだから、ほっといてくれ” ……というやつだ。
まあ、「東大卒で若い時分から翻訳バイトでけっこう食えて最終的に物書きになって知の巨人の一人に数えられるような人」の後追いをそのままするほど馬鹿ではないが、本を読みたいという欲望そのままに色々なものを投げ捨てることができたらどんなに気持ちがいいことだろうかと思う。そして、自分と同じようなことを考えている人がいることがわかって、それだけで随分と心が安らいだ。
自分がマイノリティなのだと思うけれど、本をただ自分の娯楽、知的快感のためにひたすら読んでいたい。本に耽溺したい。淫したい。そんな生活をいつか実現させたいです。